傷つき屋
岬の目の前に立ち、静かに口を開いた。
「自分のためだよ」
繰り返し、繰り返し語った。
物語の隅っこを忘れてしまわないよう、略してしまわないよう、
眠れない誰かが布団の中で退屈しないように。
世界を変えることはできなくても、目の前の一人に伝えることはできる。
「泣かないで」
岬の頬をぬぐう親指は、決して震えてはいなかった。
頭上で橋が振動して、反対側では電車が走り去る。
音の粒子が俺たちに降り注ぐ。
俺と岬の間に音が零れ落ち、砂利の隙間に落ちて行った。
待っている人がいる。時間は余り有る。
だから次に会った時の言葉を、ゆっくりと準備できる。
俺は、岬の華奢な肩の向こうに広がる青い世界と、長く伸びる終点の無い川を、目に焼きつけていた。
~了~