翳踏み【完】
「えっ、菜月ちゃん……!?」
一呼吸置いて、いつも私が聞いていたような言葉で語りかけてくる先輩に一気に力が抜けた。まるで不良みたいな声で詰め寄られると、どうしても別人のように思える。でもきっと、それこそが本当の彼なのだろう。
「あ、はい……、菜月です」
驚いたような声のすぐ後に、ドアノブが回った。ものすごい速さで目と目が合ったら、さっきどこまでも冷えた声を出していた彼が、頬を赤く染めたのを見た。
「うっわ、さっきの聞かれてた?」
「えっと……」
頬を手で覆って「うわ、見ないで」と呟く声に、こちらも顔が熱くなってくる。これが嘘だなんて思えない。思えないのにきっと嘘なのだから、どうしていいのかわからない。
すきなのか、嫌いなのか、優しいのか残酷なのか、判別することすらできない。夏の暑さに頭がおかしくなって、白昼夢を見ているようだった。
「またこの時間なら会えるかなって来てみたら居なかったから、油断してた」
ほら、いつも中庭から見えてたから、なんて小さく発言されて、とうとう泣きそうになる。お腹の奥がじわじわと痛んで、苦しくて、切ない。切ないとはこういうことを差すのだろう。
痛くて耐えられなさそうだ。