翳踏み【完】
「菜月、可愛過ぎ」
「さらしなせ……」
「更科じゃなくて、夏希、な」
NOなんて絶対に言わせない響きを耳元に落として、真っ赤になる私の頬を撫でた。至近距離で見える先輩は、ついさっきまでの赤い顔をなくして、すでに満足そうに笑っている。きっとこんなことくらい簡単にできるのだろう。
その先も、私の知らないような世界をたくさん知っている。本当に、到底私には届かない人だ。どうしてこんなことをするんですかと問いたくなって、また唇を噛んだ。
訊いてはいけない事ばかりが気になる。ついさっき私の絵を慈しんでいた理由も、こうして私の熱い身体を抱きしめている理由も、全部全部私の欲しい答えじゃない。だから、絶対に聞いてはいけなかった。
「夏希、先輩……」
「ん」
「……同じ名前って、変な感じですね」
馬鹿みたいに好きだと言いたがる声を喉元に押しやって、かわりの言葉を吐いた。
「そう? 俺は菜月に覚えてもらいやすくて良かったと思ってるけど」
それすらも、笑って好きに突き落す彼は、どう考えてもこのゲームに勝っている。小さく絶望が襲い掛かってくるのをやり過ごして「それは私のセリフですよ」と呟いた。
夏は、いつ終わってしまうのだろう。いつだって勝手にやってきて、気が付く前に終わってしまう気がする。