翳踏み【完】




「菜月? ご飯はまだ食べられなさそう?」


人生で初めて学校を休んだ。学校を休みたいと言ったことがなかったから、母は頗る不安げだった。心配になったらしい母は仕事を早く切り上げて、お昼から、献身的に看病を続けてくれている。

私がどうして休んでいるのか、きっと何かがあったことくらい気が付いているのだろう。それでもそのことを聞きだそうとはしない。どうしようもないくらいに優しい母だ。


「菜月の大好きな桃、切ってみたんだけれど……。一口も食べられなさそう?」

「一口、だけなら」


譲歩するように呟くと、母が安心したように笑った。とても綺麗な顔をしているから、笑顔がよく似合う。心配性で、甘すぎるくらいの母だ。


一つ爪楊枝で差し出されて、桃を口に含む。人は人を想う気持ちに潰されて、ご飯さえ喉を通らなくなるのだと知った。全部、先輩がいなければ知りもしなかった。


「おいしい」


桃の甘さが口いっぱいに広がって、どうしようもなく泣きそうになる。私もお父さんとお母さんのような素敵な恋愛ができればよかった。いつも一緒に笑い合って、どこへ行くにも二人でいることが自然な人を好きになりたかった。こんなふうに劣等感で苦しくなったり、届かないもどかしさに言葉を失うような恋愛なんて、したくなかった。


「それは良かった」

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