翳踏み【完】
やわらかく笑う母の指先が私の頬を滑る。こんなふうに優しく私を見つめてくれる人は、あとどれくらいいるのだろう。
「お母さんと結婚したい」
「ええ、お父さんじゃなくて?」
「お父さんはモモ、切ってくれないもん」
「ふふ、それ、お父さんに言っちゃダメよ。仕事にもいかないで桃の切り方を勉強するようになったら大変」
思考を思い浮かべるように笑っている母に泣きたくなる。あんまりにもしあわせで、こうして私に触れて居るお母さんの幸福を、わたしなんかが潰したくないと思った。
「お母さん、お父さんのどこがすきなの」
「うん? どうしたの? 急に」
「何となく」
「うーん、そうだなあ。お母さんの嫌いな部分まで、お母さんのことを大切にして、素敵にしてくれるところ、かな?」
まるでどこかの女神像みたいに笑っている母にも自分の嫌いな部分があるのだと言う。それを初めて聞いたから、少し唖然としてしまった。綺麗で、賢くて、誰もに好かれていて、そんな自分のどこにコンプレックスがあるのだろう。到底想像もできなかった。
「お父さんと出逢って、後悔したこととか、ないの?」
私はたくさん後悔している。そう、思って自嘲したそうになるのを耐えて、お母さんの瞳を見つめた。
「たくさんあるよ」