キス、涙々。
「……もうちょっと」
「へ?」
振り返った先に、一瞬みえたのは。
まだわたしの知らない、ハギくんの表情だった。
「もうちょっと、このままがいい」
すぐにいつもの顔に戻ったけど、さっきの表情がなぜか瞳の奥に焼きついて離れない。
手を握り直され、まるで恋人同士のつなぎ方。
「っ……、もう、知らないからね。遅れても知らないよ」
ハギくんはなにも言わなかった。
そのかわり、もっと強く手を握られる。
それがハギくんからの返事なように思えた。
駅までの道のり、あまり会話はなかった。
それでも気まずい空気はこれっぽっちもなくて、ちょっと胸がムズムズするくらい。
「今日、バイトがなかったら行ってたのに」
「行きたかった?」
「うん、まあ」
「その言葉が聞けただけでもよかったよ」
「……そ、」
行きたかった、と真剣な顔で言ってくれたハギくん。
遅れそうになっても急がなかったハギくん。
それでもこの日、普段の言動に反して……
彼から、“バイトをサボる”
という言葉が出ることはなかった。
たぶん、このあとハギくんはバイトに遅れたんだろう。
そしてわたしは案の定、風邪を引いてしまった。