その背は美しく燃えている【中編】
「で、なんでその腐りきった怪談が?」

「あはは、そんな怒るなって。感情が言葉になってるぞ」


 知ったことか。こちとら聞きたくもない話題を最も聞いてはいけない場所で耳にしたうえに、方やすでに瀕死状態なんだぞ。消化不良の文句がつらつらと喉から肺へ流れていき、どこを通ったのか突然胃にくる。胃が痛いとはまさにこの事。鈴木はまた一つ理解したくも無い感覚を身体に刻み込まれる。


「で?」

「あぁ、なんでこの話をしたかってことだろ? なんかさぁその犯人可哀想だなって」

「でもあれは作り話だろ?」

「そうだけど……」


 それきり佐野は黙ってしまった。みるみるうちに彼の眉の間に深い海溝が出来上がる。飛行機雲のように薄く棚引いていた会話が途切れて、気まずさが漂う。休むことなく画用紙の上を滑る鉛筆の音が、今日のような、しんとした雪の日を彷彿とさせた。そうして、甘やかな絶望を突きつけて。

 昨日、ポツリと佐野がこぼした弱音が脳裏を過る。どうしよう。その一言は、主語がなく、だけれどある事を共にした鈴木と天谷には重すぎて、それこそどうしようもなかった。結局、「雪が降りそうだな」と、降るかも分からないものに期待しただけで、その呟きは掻き消した。

 もしかしたら佐野はそういうことを言っているのかもしれない。ままならなさに挫けそうになっている自分たちと犯人を照らし合わせて。犯人がどういった因果で絵を盗んだのかは分からないが、自分ではどうしようもない何かがその絵にはあって、思わず手を出してしまったのかも、とか想像して。

 鉛筆の音に耳を傾けながら、そんな考えを巡らせているうちに、自分が本当は何も考えていないように思えてきた。ただあてのない空白の中に身を沈めていただけだ。そうともなれば行動をしなければならないという答えに突き当たるが、ここでまた、ではいったい何をすれば良いのだという思考に陥り、振り出しに戻る。鈴木はこの堂々巡りにため息をこぼした。月まで届きそうだ。


 いつのまにか佐野は絵筆を持って作業を再開していた。鈴木もそれに倣うように、絵筆でかきのように固くなった絵の具をバリバリとパレットの上で引っ掻く。潰れた絵の具の残骸は、水で溶かしても使えそうとは到底思えなかった。

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