呉服屋王子と練り切り姫
「あ、愛果さん、やっと来た」

 女性用更衣室の前で、彼は待っていた。スマホから上げられた顔は、ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべていた。

「将太君……待っててくれたの?」
「ええ、まぁ。そりゃ女性が一人この世の終わりみたいな顔してたのに、放っておけないじゃないっすか」

 将太君の優しさが、痛いほど胸に突き刺さる。しかし、彼の後ろに現れた大きな影に、私ははっと息を飲んだ。

「この世の終わりのような体験をさせて悪かったな」

 将太君の肩がピクリと揺れた。

「愛果さん、先約あったなら先言ってくださいよ~! じゃ、俺終電あるんで、お先っす!」

 将太君はいそいそとその場から去っていった。甚八さんは彼を横目でちらりと見ると、こちらをぎろりとにらんだ。

「遅いと思ったら男か。お前の想い人か?」
「いえ、そんなんじゃないです……」
「そうか。ならいい。行くぞ」

 甚八さんは踵を返すとさっさと歩きだした。この人、和服なのに歩くの早い! 背が高いから股下も長いのかな? ………じゃなくて!

「ま、待ってください!」

 私は慌てて彼の背中を追いかけた。
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