呉服屋王子と練り切り姫
「ミテ! シカヨ! ニホンノカミサマ!」

 どの観光客よりも大きい声ではしゃぐのは、ゲーン夫妻だ。急ごしらえの旅なため、貸切にすることはできなかたらしい。それでも私たちの周りには、警護の人たちが張り付いて、それだけで物々しい雰囲気を醸し出している。それにも拘わらず、これだけはしゃげるのだから、この人たちはなんて無邪気なのだろう。
 甚八さんは彼らの様子を遠目に眺めながら、私の腰をしっかりホールドしている。もちろん、これは私を守るためじゃなくて、着物を守るためだ。そうだとわかっているのに、私の鼓動が早まるのは如何なものか。

「お前、動かないで待ってろ」

 甚八さんはふとそう言ったかと思うと、一人売店へ行き何かを買ってきた。それをゲーン夫妻に手渡すと、彼らの周りに鹿が集まってきた。

「ワオ! シカサン、クッキータベルノネ!」
「コレ、ニンゲンモタベレル?」
「食べることはできると思いますが、やめておいた方が……」

 甚八さんがそう言い終わる前に、ゲーンさんは鹿せんべいを口にぱくっと入れた。

「オオ……コレハ、オイシクナイ、ネ……」

 奥さんが大笑いをしだす。その光景は、まるで仲の良いこどもたちの戯れのようで。年月を経てもピュアでいられるゲーン夫妻を、私はなんとなく羨ましく思った。

「ほら、よ」

 いつの間にか私の傍に戻ってきた甚八さんは手に鹿せんべいを持っていた。

「お前も食うか? 食い物好きだもんなぁ」
「わ、私は鹿せんべいはもう食べません!」
「もうってことは、食べたことあるんだ?」
「中学の、修学旅行の時に……」
「さすが、食い意地女だな!」

 甚八さんが笑って私に差し出した鹿せんべいは、私の手に渡る前にそこにいた鹿がパクっと食べてしまった。残り香を求めるように甚八さんの手を舐め続ける鹿を見て、私は笑った。
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