呉服屋王子と練り切り姫
 どのくらいの時間が経っただろう。ようやくリビングまでたどり着いたころ、ガチャリと玄関が開いた。

「お前、まだいたのか?」

 その声にはっとする。

「ああ、おかえりなさい。なんか、全然終わらなくて……」

 そう言って顔を上げると、甚八さんははっとして顔を俯けた。

「ああ、ありがとう。玄関先なら、急な来客でも問題ないな」

 急に小さな声になった甚八さんは、そのまま私の横をささっと通り抜けてリビングへ行ってしまった。と、リビングから声が飛んできた。

「夕飯は食べたか?」
「いや、まだですけど……」
「じゃあ、食いに行くか?」
「え?」
「お前は夕飯も食わないのか?」
「いえ、食べますけど……」
「じゃ、行こう」

 私はどうすることもできず、そのまま玄関先で彼が出てくるのを待った。

「おい、行くぞ」

 着替えを済ませた甚八さんに、私は驚いた。白いシャツに薄手の紺色のセータ。チノを合わせたセンスの良い“洋服”を着ていたのだ。

「甚八さんって、洋服も着るんですね」
「お前は俺をなんだと思ってる?」
「……呉服屋の、お坊ちゃま?」
「……そうだったな。まぁいい。俺だって洋服も着るさ。ぼさっと突っ立ってないで、行くぞ」

 彼はなぜかごく自然に、私の手を取ってそのまま部屋を出たのだった。
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