極上の餌
その時、最前列のご婦人の一人が、
「あら」
と小さく声を上げた。
「あなた、そうじゃない?」
上品な年配の女性の声は、同じく最前列の左隣の席に座る彼女に問いかけていた。
決して大げさな声でもなく、誰彼に教えようという大きさでもない声。
だけど、静かな会場で隣の当人に知らせるには十分で、ステージまで三メートルと開いていない配置だから、その後も続く簡単な質問に答え続ける俺にも聞こえる声だった。
「え?」
唐突に言われた彼女は、隣席の老婦人に驚いた表情を見せた。
確かに、彼女の服装はベージュ色のゆったりとしたセーター。
その袖からは細い白い指。
プリーツの黒のスカートからは黒タイツの脚が伸び、ショートブーツに収まっている。
そして、膝の上には半分に折られた真っ白のコート。
ダークカラー一色と言える年配の女性が集まった会場で、三点全ての条件が揃う女性などたとえ200人収容の会場だろうと、二人といるとは思えない。
それもそうだ。
彼女の出で立ちを見て、そのままを俺が質問の答えとして言ったのだから。
「ほら、ねえ」
控えめな声だがはっきりと断言され、
「まさか……」
と彼女は困り顔をステージに向けた。
眉を寄せた表情は……、ああ、なんて可愛いんだ。
思わずそれに俺が小さく笑んで応える。
「ほぅら」
同じくその笑みを見て取った老婦人が馴れ馴れしく肩を叩くので、セーター、黒タイツ、白コートの彼女は益々眉を寄せた。
困ってる、困ってる。
その表情が思いのほか可愛くて、ステージ上の俺の口角が少しだけ上がった。
そんなものは露にも知らず吉田は、トークショー終了の時間が来たことを告げる。
「最後に、広橋先生に直接ご質問がある方はいらっしゃいませんか? あと少しのお時間しかございませんが、どなたか、いらっしゃいませんか?」
丁寧な物言いだが、終了時間が来た事を告げた上での挙手を求める声は、パフォーマンスとも取れなくもない。
それに、こんな大人数の中で、挙手、発言が出来る人なんているだろうか。
もはや隠そうともしていないのか、勝気な性格があふれ出ている。
対して俺はどうやって彼女を引き留めようか、まさかこの場で直接声をかけることもできない、策はないかと、頭の中をかき乱す。
「それでは……」
吉田の思惑通り、いらっしゃいませんか? と言った割りに短い時間で締め切りの言葉を発しようとした時……。