極上の餌
三人をドアまで見送り、また二人きりになった室内で、
「本当に結婚してくれる?」
と、手渡されたままだったアンケート用紙をペラペラと小さなテーブルの上でめくりながら、俺は割と本気で彼女に問う。
「先生、それは……!」
その場しのぎ、とは分かっているが、期待するぐらいいいだろう?
「結構、上手いこと、あの吉田って司会者黙らせてくれたし、馬が合うと思うんだよね、俺たち」
「あの人は、なんだか先生におべっか使ってるみたいで、ちょっと……」
「おべっかはS新聞社の方でしょ、吉田はおべっかじゃなくてアプローチ」
「アプローチ?」
「ううぅん、アプローチというより、アタック?」
アンケート用紙の中ほどで手を止めると、彼女に振り向いた。
理解できない顔をしている彼女が可愛い。
「そう、性的に狙われてたの、俺」
「 ? 」
きょとんとした後、
「え!?」
と、急に赤くなる、まるで初心な彼女の反応にプッと笑いが零れた。
「理解できない?」
「はい。いつもお仕事をご一緒してらっしゃる方ではないんですよね?」
「そうだよ、初対面」
「それなのに?」
「そう、浅はかだよね? でも、俺はちょっと理解できる」
本当に欲しい人を見つけ出した今なら。
婚約者の「ふり」の時はすんなり抱かせてくれた肩はまた強張っているが、構わず腰を抱き言い寄る。
「ねえ、本当に結婚しよう」
「私、先生にお会いしたのは今日が初めてです」
「俺は7年前に見てた」
「それは先生が勝手に……!」
「そうだよ、俺の7年間の片思いは勝手にしていただけだよ」
「そんなこと言われても、私、すぐには……」
「すぐじゃなければいいの? 明日? 明後日?」
「だから、時間の問題じゃなくて! それに……!」
彼女との問答が楽しくて仕方ない俺の胸元を小さな拳がトンと叩いた。
大して痛くもない拳が着物の袷に触れたまま。
「先生、私の名前すらご存じないですよね!?」
なぁんだ、そんなコト?
プクッと頬を膨らめ、俺をやり込めたかのように言い切る彼女の幼子のような足掻きが可愛らしい。
してやったり!
と小さな鼻を膨らませ言い切る彼女をグッと抱き寄せ、その耳に唇を寄せる。
「 こ と ね 」
瞬間、彼女は俺を見るから、思いのほか近くに顔が来る。
驚きを隠し切れない表情を間近に見て、もう衝動を抑えきれない。
後頭部に手をまわして抱き寄せた。
「琴音、俺と結婚しよ」
「どどどどど、どうして?」
「ぷぷッ、琴音、可愛すぎ。言ってるでしょ?好きだからって」
「そうじゃなくて、名前……!」
「ああ、それは……」
胸の中から放すのはさみしいけれど、小動物よろしくあわあわと口を開く琴音の手を引き小さなテーブルのそばへ。
手は握ったままアンケート用紙の束の中ほどを開くと、
「あっ……!」
と琴音は小さく声を上げた。
「俺のファンは妙齢のご婦人ばかりだから、琴音の文字はすぐに見つけられる」
ネタばらしに驚く琴音に追い打ちのように、
「7年前のアンケートも持ってるよ、見る?」
と言うと、ぷるぷる首を小気味よく振った。
だから、どれだけ可愛いの、琴音は。
短時間だけど近くで知れば知るほど彼女の言動に溺れていく。
片思いの歳月は長いけど、それはあくまで俺の一方通行で、実物は想像を軽く超えてくる。
「気持ちが決まったら、また会いに来て」
指先を絡ませながら言うと、琴音は戸惑いながらもちゃんと目を見てくれる。
「大事にするから。俺が書き続けるためにも、今度は君が餌になって」
「 !! 」
反則技と分かっているけど、俺は気持ちを伝えた。