極上の餌
冬のはじめの日暮れは早い。
野点のお開きを待たずにレジデンスに戻った俺と琴音は、傾きかけた日が長く窓から射す寝室になだれ込んだ。
細い指を絡めたまま寝室のドアを閉め、そのドアと俺の体の間に琴音を閉じ込めて唇を奪う。
穏やかな天気だったとはいえ、庭園の外気で冷えた唇が二人の熱で熱くなる。
鼻から抜けるような琴音の甘い吐息が聞こえて、顔を見たくて唇を離すと、明らかに上気した表情に堪えられなくなる。
「琴音……」
押し殺した俺の声に、
「はい」
と拒まない澄んだ素直な声は、益々俺の中の衝動を大きくする。
着物の帯に手をかける。
自分の着付けはできるが、女性の着物の帯は男帯とは違う。
少し……、どころか、相当な手間がかかる。
帯締め、帯揚げ、帯枕……?
着付けも女性の方がはるかに時間がかかるんだ、脱がすのも簡単ではない。
「なんだ、これ? まだあるのか?」
解いても解いても頑丈に結ばれた紐が現れ、琴音を求める俺の妨害をしてくる。
傍から見れば間の抜けた俺の行動を、琴音はされるがままで袖を腕に巻いてアシストしてくれている。
「先生、焦り過ぎ……。私は消えたりしませんから」
さっきまでの上気した顔に笑みが戻って、クスクス含み笑いまでしている。
「随分余裕だな」
「こんな綺麗な格好させてもらって、先生にこんな風に求められて、夢の続きにいるみたいなんです」
「夢じゃない、現実だよ」
「嬉しいです」
「ほんと、余裕綽々だな」
主導権を取られたようで気に入らなくて、何紐なのか、きつい結びを一旦放置して、再び強く唇を吸うと、琴音は観念したように脱力した。
「生意気言うと黙らせるよ」
至近距離で言うと、再び呆けた表情で、
「いつも優しいのに意地悪することもあるんですね」
と、言葉とは裏腹に嬉しそうに言うからまた調子が狂う。
「小説ならここで帯をクルクルッと回して、琴音が『ア~レ~』って展開なのにな」
「剣客シリーズの悪代官ですか?」
「オトコのロマンだよ」
「先生もそんな事考えて執筆されてたんですか?」
クスクスッと笑いながら、未だ濃紺色の無地着物を纏った琴音に言われ俺も苦笑する。
「現実はフィクションとは違うんだな」
「私は、先生が女性の着物を脱がせ慣れてない事が分かって嬉しいです」
大胆に俺の首に両腕を回した琴音の表情は本当に嬉しそうで。
そんな事を考えていたからの余裕だったのかと初めて知らされる。
どうにか全ての着物を脱がせ、今度こそなだれ込むようにベッドで琴音の全てを愛する。
俺の与える全てを受け止め、また、受け止めきれずに善がる琴音が本当に愛おしい。
あどけない表情をする時もある。
無邪気に笑って野点傘の下で手を振る彼女は可愛らしかった。
帯の解けない俺を笑う顔は年上の女のようで、ともすれば如来の手の平の上にいる猿の心地がした。
実際、猿のごとく琴音の柔肌に溺れ、求めているのだから、言い得ているのかもしれない。
ようやく琴音の体を開放した時、夜の帳が下りて、室内は暗くなっていた。
間接照明で薄っすらと見える琴音は情事の後の眠りに落ちている。
俺の腕に寄り添うように触れた体が冷えないように布団をかける。
「琴音……」
返事が無いのを分かっていても、ようやく手に入れた愛しい名を呼んでしまう。
「愛してる」
眠る彼女に口付けた。