極上の餌
「文也ぁ、オマエなぁ~」
玄関のドアを開けると晃が不満たらたらで紙袋を差し出した。
「店に俺がいたから良かったものの、昨日の昼に着付けたお嬢さんの着替えを翌朝になって持って来させる男って、どういう状況なわけ?」
全部分かっていて晃は紙袋を押し付ける。
「悪い……」
さっき気付いて晃に連絡を入れて数分後。
正直、晃には悪い事をしたと思っている。
野点のお開きを待たずに琴音をレジデンスに連れ込んだ。
それは後悔していない。
晃に細々説明する気はないが、いい一夜を過ごしたし、今朝もまだ、そのまどろみの中にいたい。
「まあいいや、上手いこといったんだろ?」
「おかげさまで」
「そうだ、俺のおかげだぞ。今度から琴音ちゃんの着物は俺に選ばせろ!」
「琴音ちゃん、呼びするな!」
まるで昨日の再現のようなやり取りに晃は玄関先でケタケタ笑うとそそくさと帰って行った。
「琴音……」
ベッドの上には布団にくるまる小さな体。
無理をさせた自覚はあるからゆっくり寝かせてやりたいが、今日の彼女の予定を俺は把握していない。
晃に持って来させた着替えをベッドの脇に置き、長い睫毛の影を落として眠る琴音の肩を揺すると、ゆっくりと瞼を開けた。
「おはよ……」
額に口づけると、まだまどろみの中にいるのか焦点が定まらない目を細めて笑んだ。
「おはよ……、ござます」
少し掠れた声も、昨日の無理がたかっての結果だ。
仕草も声も全部愛おしくて、このまま起こさずに俺もベッドになだれ込みたいところだけど、衝動のままに過ごして若気の至りで済ませられる年齢は越している。
「寝かせておいてあげたいけど、琴音、今日の予定は……?」
滑らかな素肌の肩や腕に触れながら、覚醒しきっていない頭にも伝わるようゆっくり言うと、
「あ!」
と声を上げて急にベッドの上で飛び起きた。
「今、何時ですか!?」
慌てながらも布団を手繰り寄せて体を隠すのを忘れないのが憎らしい。
「もうすぐ8時になるところ」
「8時!? ギリギリ間に合う? あぁ、でも、一旦、部屋に帰って資料持って行かないと……! あれ? 私、昨日着替えた服って……、え? どうしよう、呉服屋さんに置いたまま!?」
顔に『どうしよう』と貼り付けたように困り顔で俺を見る琴音に、申し訳ないけど笑いが込み上げてくる。
「先生……! 笑い事じゃありません! 私、服を呉服屋さんに……!」
怒って膨れる頬にチュッと音を立てて口づけて、ベッド脇に置いた紙袋を持ち上げ見せる。
「晃に持ってきてもらった」
「ああ!」
心底嬉しそうに紙袋に手を伸ばそうとして、
「……あっ!」
思い止まる。
このまま手を伸ばせば布団が落ちる。
全部見せて、全部見た仲なのに琴音は頑なに布団を離さない。
肩や胸元には俺が散らした朱がいくつも見えて艶めかしいっていうのに。
「むうぅ」
わけの分からない唸り声を上げる琴音に、完敗、完敗、と両手を上げてベッドから離れた。
「自宅に寄ってから大学に行くなら車で送るから支度しておいで。佐藤先生ほど旨くないかもしれないけど、持って出られるコーヒー用意しておくから」
「はい!」
大輪の花が咲くように笑う琴音。
もうどうしたって手放すことなんてできない。