極上の餌
助手席に琴音を乗せて、レジデンスから自宅へ、そして大学へと送る。
最初の経由地のひとり暮らしの住まいは大学沿線の小さなアパートで、周りには同じような大学生や単身の社会人、留学生が生活している街並みで自分の学生時代を思い出す。
あの頃は、十分通学圏内なのに粋がってアパートを借りたものの、生活の一つ一つに戸惑って右往左往していた。
父の仕事のアシスタントを始め、身内なのに時給制にしてもらって資料集めやタイピングをしていたが、今思えば、あれは親からの援助だったのだろう。
いなくなって分かる大きさを実感する。
同業としても、人としても、父を超えていきたいが、死んでしまえばもう越えられない。
琴音が車に戻るのを待ちながら、しばし、思い出に耽っていると、助手席のドアが開いた。
「この車、こんなアパートの前にあるの不釣り合いですね」
唐突に何を言い出すかと思えば、小ざっぱりとした学生らしい格好に着替えた琴音が、お待たせしました、と詫びながらSUVの高い車高をよじ登っている。
運転席から先に荷物を受け取り助けてやると、ようやく、
「ふう~」
と慌てて支度を整えてきたのだろう、息を整えたのを見て発進させる。
「琴音が乗り降りし易い車に買い替えようか」
「そんな……! もったいないですよ、先生!」
自分の言動が原因で俺が出費を企てようとしているのかと、琴音が慌てる。
「別にこだわりがあってこの車ってわけじゃないから。渋滞してても見晴らしいいのがちょっと気持ちいいだけで」
「車検が近いとか、燃費のいいお得な乗り換え車が見つかったとか、理由が無いなら私の事はお構いなく……」
「堅実だね、琴音は」
「そりゃあ、カツカツの生活している学生ですから」
「免許は?」
「一応、身分証代わりに2年の夏休みに取りました」
「ペーパー?」
「はい、もちろん」
「じゃあやっぱり車変えなきゃ。初心者にSUVは運転しにくいよね?」
「な、何の話ですか!?」
「だから、この車、琴音、運転できる?」
「はあ?」
キョトンとする琴音を視界の端に捉えながら運転していると、大学に近づくにつれ小型でカラフルな軽自動車が増えてくる。
「ああ、琴音用の小さいのを買えばいいんだ!」
「先生!?」
何を言い出すのかと責めるようにこちらを見てくる琴音に思わず笑いが込み上げる。
「結婚したら俺の物は琴音の物でしょ?」
都合よく信号待ちのタイミングでハンドルを握ったまま、至極当然のように琴音を見つめて言う。
朝の光に照らされて、昨夜の妖艶な姿はなりを潜め、どこからどう見てもハツラツとした青春を謳歌する学生だ。
そんな彼女に「結婚」の話を持ち出すアンバランスさが、いたずらのようで心地いい。
昨夜、ベッドの中でも彼女は結婚についてはイエスと言わなかった。
快楽の中で承諾させようというのも卑怯だが、残念ながら下知は取れなかった。
「あの……」
言葉を言い淀む彼女に朝の光が眩しい。
「いいよ」
「え?」
手を伸ばせばそこに彼女の柔らかな頬がある。
触れれば吸い付くような心地よい頬が。
「ゆっくり口説くから。琴音がいいって言うまでずっと……」
ぐっと体を近づけてキスしたいところだけど、今度はバッドタイミングで信号が青に変わる。
「運転しながらキスするには遠いなぁ」
「はい?」
「やっぱり買い替えようか? もっと密着できるくらい小さな小さな車に」
「先生~、しっかりしてください」
呆れ声の彼女が笑って言う。