極上の餌


それからというもの、週に1、2度琴音と会えるようになった。

大学まで迎えに行くこともあるし、締め切りが迫っていれば彼女がレジデンスまで来てくれることもある。


こちらに来る度に、

「妙にコンシェルジュさんがにこやかで、居心地が悪いんです」

とわけの分からない事を言うので、彼女が一緒じゃない時に顔見知りのコンシェルジュと何気なく喋ってみたら、どうやら俺の雰囲気が彼女と付き合うようになって激変したように見えるらしい。

変化の原因と思しき交際相手にはにこやかになる。そういう理由のようだ。


俺自身にそんな自覚はないけれど、担当編集者も口をそろえて作品に恋愛要素が絡むようになった、と指摘するし、以前、琴音にも言ったとおり、彼女との生活で生じた心の変化が早くも作風に出てきているらしい。



作家稼業に就いて5年。

これまでにない変化に戸惑いながらも楽しんでいる。

書き手は商業作家だろと人間だ。

置かれた環境や心境の変化で作品も変化するのは当然だ。


今まで思いもしなかったが、父も折々で作風が変わったりしたのだろうか? ふと、思ってみたりする。






「広橋先生の作風が変わったのは、剣客シリーズの前、幕末闊歩(ばくまつかっぽ)の連載中ですよ」


レジデンスの広いリビングルームに置かれたカウチに寄り添って座っていた時、何の会話からか父の作風の変化がいつかと俺が話すと、琴音は分かり切ったことかのように言い切った。

「幕末闊歩の時?」

「はい。それまでは主人公に強さを求めるお話しが多かったんですが、幕末闊歩の後半、主人公が仕官先を失い何もかも無くしてから……」

「ああ、脱藩を決めるまでの、あの辺り……」

琴音が言おうとすることは、父の跡を継ぐに当たり何度も著作を読み返した俺には理解できた。

父の作品は全て既に自分の中に取り込んだような気になっていたが、同じ書き手として父を見つめる時間は無かったからか、ストーリー展開と父の心境を同列に考えることはしていなかった。

それを彼女はいとも簡単に言い当てる。



近くに置いていたタブレットを操作して「広橋文也」のウィキペディアを見ると、出版物が刊行順に羅列されている。

幕末闊歩の後半が出版されたのは27年前。

ちょうど俺が産まれた年だ。



「先生?」

気付かされた事実に俺の手が止まるのを琴音は不思議そうに覗き込んだ。

「そうだよな……」

俺の独り言を琴音はキョトンと見つめる。

この存在は、心を温かくする。

幕末闊歩の主人公の変化は、父が家族を得て辿った変化なんだろう。




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