極上の餌



彼女が研究発表前で忙しい時期、会えない時間を利用して俺はベリーヒルズビレッジオフィスビルの高層階のVIPラウンジへ向かう。

ここにはオフィスビルに事務所を構える会計事務所や弁護士が異業種交流に集っている。



その中でも晃の紹介で出会った立花渉(たちばなわたる)という弁護士は、同年代ながら多くの案件をこなしている頼りになる人物だった。

オフタイムということで弁護士バッチの付いたスーツは脱ぎ、ドレスシャツの捲った袖から見える腕はいい筋肉がついている。

聞けば、オフィスビル地下のジムで鍛えているということで、晃ともそこで出会ったと言う。




「作家の法人化はメリットばかりじゃないので、あまり扱わないんです」

初対面にも関わらず立花は忌憚無く言い放った。

「分かります。独学で調べてみましたが、基本、独り作業なので、ね」

「そうだな、文也はいつも独りで缶詰部屋だ」

横で紹介してくれた晃がウイスキーを揺らして笑っている。

今夜も呉服屋らしく深い緑色の羽織着物を纏う姿は、VIPが集うラウンジでも粋に見え、年齢の割に多業種の知人が多い。

「それでも法人化するのは、人を雇い入れたいと?」

先に晃から聞いていたのだろう、話が早い。

「お恥ずかし話、僕が学生の時は父に時給でバイト代をもらっていました。恐らくそれは父のポケットマネーの小遣いで。今回はそうではなく、ちゃんと給金という形を作りたいんです」

「お父上に……、ああ、前任の広橋文也先生ですね」

「前任って……?」

意外な言葉にオウム返しすると、

「失礼」

と立花は持っていたグラスを置いて詫びた。

「正直、私は最近の広橋文也作品しか読んでないので、それ以前の作品は、前の広橋文也、っていうことで」

「世間の認知度は、もうオマエが広橋文也、ってことだ」

晃が納得させるように断言する。




「ややこしいですよね、父のペンネームと同じ名前って」

以前から思っていた事だが、俺自身は産まれた時から「広橋文也」なのだからどうしようもない。

「そこのところ、私自身、興味があるんですよ」

ただの愚痴のつもりだったが、立花は意外にも関心を示した。

「広橋文也の印税は、全て広橋文也の印税だから、それは、今の広橋文也の印税なのか? って」

「やっぱりややこしい!」

晃はお手上げいう風に、とラウンジの座り心地の良いソファーに背を投げた。

粋な着物姿なのに子どもの頃から変わらない性格の晃に苦笑して、俺は立花に向き合う。




「簡単な話ですよ。委託している税理士さんは、入った印税を出版物毎に「広橋文也A」と「広橋文也B」に分けて処理するんです」

「それは、先の広橋先生は亡くなった事を伏せていた数年間の分も?」

「はい、公表云々は別にして、実際に執筆した僕の著作として計算されます」

「なんだか、藤子不二雄みたいですね」

「税制的に言うと、僕は広橋文也Bという作家らしいです」

「ほおぉ」



俺にとっては他愛もない話だが、立花は専門家として大いに関心を持って聞いていた。



「法人化には、こういう税処理をする専門家も雇用する必要があるんですか?」

脱線した話を目的のものに戻す。

「いや、何人もの作家を所属させて法人化するならともかく、作家が広橋先生だけの間は、今まで通り、税金関係は委託でいいですよ」

立花はハイボールのグラスに付いた水滴を指で触れながら朗らかに話す。

「その感じだと、お付き合いも長い税理士さんみたいですし、尚更、ね」

「はい」


話がどんどん具体的になってくる。


「そういえば、一度聞いてみたかったんだけど」

晃がつまみのナッツを口に放り込みながら言う。

「親父さんが亡くなってオマエが続きを書いた本は、一冊の本をAとBが一緒に書いてるだろう? その場合はどうなるんだ?」

「ああ、そうですね」

晃の問いに、立花はまた関心を示して身を乗り出した。


「あの時は……」

このところ、剣客シリーズの花火のシーンを思い出す機会が多いものだ。

共著(きょうちょ)、ということに税処理上はなってます。もちろん本には一人の著者ですが、僕が広橋文也であるのは違いないわけだし」

「ああー、ややこしい話の堂々巡りだ」

晃の茶々に立花も笑っている。




「複雑なようで明朗で。大変勉強になりました」

どこに勉強になる要素があるのか分からないが、立花が笑って言うので釣られて笑顔で握手を交わす。

「3月中に、というのは些か急ですが、幸い、規模が小さいので問題ないでしょう」

「よろしくお願いいたします」

「頼みます、立花先生」

晃も真面目な顔になって目礼する。




時代小説家らしく、外堀を埋める作業が着々と進んでいく。






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