極上の餌
3月の京都は観光旅行客で賑わっている。
タクシーの車窓から見えるバス停には、幾分、緩和されたと聞いていたが相変わらず人が溢れている。
出版社から指定された時間まであと数時間あるから、いくつか寺院でも巡ってみようかと思ったが、京都駅に着いた時からの人の多さに、タクシー運転手には迷わずトークショー会場のホテルを指定した。
取材のためなら人が少ない時期や時間がいい。
何しろ江戸時代の京は政治の中枢が東に移って、こんなに込んでなかったはずだ。
まして、琴音との旅行ならば更に更に人手は少ない方がいい。
彼女と過ごす時間は大勢で賑やかによりも、しっぽりとわびさびを愉しむ方が合っている。
琴音と旅行するならば……。
ただ京の街並みを見るだけで琴音を思い出すのは重症だ。
作家、広橋文也の法人化の準備が整い、彼女に話しをしたのは1か月前。
そこに琴音を雇用するので就職先を変えて欲しい。
睦事ではずっと一緒にいたいと語り合っていた。
それが結婚に直結しなくても、「そばにいる」とは「精神的にも物理的にも近くにいる」だと思っていた。
それがかなうための法人化と雇用。
「外堀を埋める」作戦だったが、当の本人の反応は想像したものとは違っていた。
手放しで喜んでくれるとは思っていなかったが、望む仕事に就くわけでないなら呆れはしても承諾すると思っていた。
「永久就職、本当にさせるつもりなんですね?」
冷たい声色で『死語』と言い放された言葉を返されて言葉を失った。
「しばらく考えさせてください」
苦笑を通り越し、失笑のような表情で彼女は言うと去って行った。
俺は何かを間違えたらしい。
どこにも寄らずにトークショー会場のホテルに早目に到着すると、既に部屋には和装一式が届いていた。
遠方だからスーツでいいじゃないか、という俺だったが、専属和装コーディネイターを気取る晃に、
「京の都で時代小説家が和装でないなんて許されん!」
と一蹴され、結果、羽織着物から小物までホテルに宅配される運びとなった。
届けば届いたでそれまでかと思いきや、晃が京都でも馴染みの呉服屋に依頼して、それらは綺麗にしわを伸ばして部屋に吊るしてあった。
「本当は俺が整えて着付けまでしてやりたいんだけど」
と殊勝に言っていたが、
「春の京都、いいなぁ~」
とすぐに本心が現れて俺を絶句させ、その後、「それでも、傷心の俺を一人旅させるのは心配だ」と気遣ってくれた。
「俺も共犯者のようなもんだからな」
琴音が去って1か月。
晃もまた、気を病んでくれている。