極上の餌

少々複雑な経歴、というのは、遡れば俺の父の作家生活から始まる。

「広橋文也」というのは父のペンネーム。

父は俺が産まれる前から物書きとして生活していて、そのペンネームを息子の俺に名付けた。

出版された作品は時代小説のみ。

時代や年号が変わり生活がどれだけ変化しても、父は仕事をする時、江戸時代に生きていた。


物心ついたころから俺は父の仕事を理解していたし、文字が読めるようになれば遊び感覚で父の作品も読んだ。

父が無造作に置いている原稿を読み、遠慮なしの感想や意見を言うこともあった。

その時点で既に父は時代小説家として、売れっ子の域にいたのだから、素人の子どもが意見するなど今思えば赤面ものだが、当時はただ、父息子の共通の趣味程度の認識で好き勝手言っていたものだ。


中高生くらいになると、俺と同じの名前の作家の本が書店に並んでいれば、同級生の間でも話題になりそうなものだが、作風が全て時代小説ということもあってか、俺は「広橋文也」とは同姓同名のただの学生として生きてきた。



劇的に変化したのは5年前。



卒業を間近に控えた大学生の時だった。





引っ越し作業の最中に父が急死した。


父が選んだ新居は、今日のトークイベントの会場にもなっているベリーヒルズビレッジの中のレジデンス。

ホテルも入るオフィスビル、テナントエリア、病院を揃えて開発されたそこは、日本の古い良き文化を発信するをコンセプトに掲げていて、時代小説家にはうってつけの環境だった。

ここで父は長期シリーズの執筆を続けるつもりだった。

それが、突然の急死。






< 4 / 42 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop