誠に不本意ではございますが、その求婚お受けいたします
信じられないのは、就業中にメイク直しをするあなたの方だと思うけど。
だからと言って言い返すことはしない。
期日中に終わらない仕事も、残業も、同僚との付き合いも、私には関係ない。
「でも、夏川さんってどうして派遣なんだろう?」
「だよね、仕事できるのに勿体ないー」
それは、はっきり言って大きなお世話です。
出入り口のところでくるりと振り向きフロアを見渡すと、さっきまで噂話をしていた社員たちが一斉に視線をそらした。
「お疲れさまでした」
あ、しまった……声のトーンが低すぎたかも。反省。反省。
どんな時でも平常心を心掛けようと思っていたのに、つい態度に出してしまった。
唯一、「お疲れ様」と返してくれた鈴木さんに笑みを向けて、会釈。
それから、踵を返した私は文字通りに大急ぎで会社を後にした。
* * *
「こんばんはー」
「いらっしゃいませ」
「いやぁ、今日も疲れた疲れた。百ちゃん、いつもの1本ね」
「はい、少し待ってくださいね」
ここは、繁華街から少し離れたところにある小料理屋『零』。
テーブル席が1つと、カウンター席が5つあるだけのこぢんまりとした店だけど、常連さんに愛されて今日も営業ができている。
そこの経営者 兼 女将として働く私は、温めた日本酒と先付けをカウンター席にそっと置いた。