Sister Cherry! ~事故った妹は今日も事故る~【シーズン1】
【学校へ行こう!】
10.桜子、“初めて”の学校(登校編)
【学校へ行こう!(1/5)】
********************
「行ってきまーす!」
「じゃ、行って来るわ」
桜子の元気な声に続いて、遼太郎のぼそっとした声が玄関を出る。これまで着ていたという覚えがなく、
(何かコスプレみたいだなあ……)
と思った紺色の冬服セーラーは、それでもやっぱり体に馴染んだ。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
見送る“おかーさん”は心配そうだ。一週間前、そう言って見送った娘は事故に遭って記憶を失くした。
しかもその娘は、何も思い出せないまま、本人的には誰一人知っている人のいない学校に今日から行かなくてはならないのだ。心配するのも無理はない。
しかし当の桜子は、あまり不安を感じていなかった。何しろ家族のことさえ覚えていないのだ、友達や先生のことがわからなくても、どってこともないように思える。そんな桜子を、“おかーさん”も“おとーさん”も、そして誰より”お兄ちゃん“がちゃんと受け入れてくれている。
もし学校でうまくいかなくっても、桜子にはちゃんと帰る場所がある。だから大丈夫だ。それに……
(くふっ……くふふふふっ……///)
桜子がちらっと横を見ると、眠たそうな遼太郎がいる。
(遼太郎さんと一緒に、外を歩いてるう……見て、ご近所の皆様! このカッコイイお兄ちゃんと、一緒に歩いてるのは妹の桜子ちゃんですよー!)
まあ、御近所さんからすると何ということのない朝の風景の一部であろうが、桜子的には“大好きな男の子”と並んで歩いているのだ。
そんな桜子は、しごく当然のように遼太郎の手を取った。遼太郎もそのまま、しばらく桜子と並んで歩いていたが、
「って、おい!」
突然立ち止まり、桜子はつながった手のまま、バレエダンサーのように足を宙に浮かせた。
「っとお、危ないですよ、お兄ちゃん」
「いや、お前、何を自然に手ぇつないでんだよ?」
遼太郎が慌てて桜子の手から逃れると、妹は離された手をもう片方の手で包むように胸で抱き、大きな瞳をうるうるさせて兄を見上げた。
「お兄ちゃん、桜子を手をつなぐの、イヤ……?」
(うわあ、面倒くさい……)
遼太郎は昨日の大騒ぎを思い出しつつ、言葉を選んで桜子を宥める。
「嫌ではない。嫌ではないんだけど、この辺は知り合いも多いしお前、高校生と中学生の兄妹が手をつないで歩いてたら、ご近所の噂になるよ?」
「ウワサの二人……?」
「悪い意味でな」
まあ、ぶっちゃけ、自分はオタの非モテだし、ご近所さんに何と誹られようが別にかまわない。だが折角可愛い桜子に、記憶喪失のせいで妙な傷がついては、親にも申しわけないし、何より自分が兄として許せない。
「いいか、桜子。お兄ちゃんはお前のことが可愛いから、手をつなぐのはイヤじゃない。けど、世間はそういうのを変な目で見る。それでイヤな思いをするのは桜子なんだから、わかるな? 外でお兄ちゃんに甘えるのは、ヤメとけな」
遼太郎が割とガチめのトーンでそう言うと、桜子はちょっと不満そうな顔をしてから、唇を尖らせて目遣いで兄に迫った。
「じゃあ……誰も見ていない時だったら、桜子を可愛がってくれますか……?」
言葉の……選択が……マズくないスか、桜子さん?
「まあ……それは、うん、常識の範囲内で」
「じゃあ、あたし、我慢します……///」
桜子がにこっと笑って、くるりと前へ向き直るとスカートの裾が、ふわり、ひるがえった。
その仕草のひとつひとつにアテられながら、遼太郎は、
(いや、待て待て、俺。いくら俺が非モテのオタクでも、実妹萌えのルートはないはずだぞ……いや、ないだろ?)
桜子が記憶をなくしてから、こっち――……
幼い頃の妹に戻ってべたべたするかと思うと、遼太郎が兄だと完全に忘れたように照れたり、意味深な言動をしたり……お兄ちゃんは振り回されっぱなしだ。
遼太郎の方からしても、桜子が時折見せる態度や表情が知らない女の子のように思えてしまって、ドギマギさせられる瞬間がある。
(どっちにしろ厄介な……)
機嫌を直し、鼻歌なんぞ歌いながら歩く桜子のツムジを見下ろし、遼太郎はため息を吐いた。
(早く記憶戻してくれよな……)
天然小悪魔実妹ルートとか、現実ではさすがのお兄ちゃんでも、ゼッタイにナシだからな……?
**********
さて、お兄ちゃんと並んで、うきうき、てくてく。いつの間にか、周りに同じ制服を着た子達が、ちらほらと歩いている。
桜子的にはこのままどこまでもまっすぐまっすぐ、地球を一周してそのまま二周目に突入しても望むところであったが、十字路に差して遼太郎に、
「そこ右だ」
指示されるまま曲がり、てくてく、ふと重大な事実に気づく。
(あたし、学校の場所知らねえ!)
はて、どうしたものかと、遼太郎と二人、てくてく、てくてく……
「お兄ちゃん、学校はー?!」
桜子の大声に、遼太郎はビクッとし、登校中の生徒達が振り向いた。桜子は気にしない、というか気づかない。眼中にあるのはお兄ちゃんだけだ。
「間違って一緒にこっち来たの?! てか、遅刻じゃん!」
家から遼太郎の学校までは、確か電車で40分掛かると聞いた。こんな時間にこんなところを妹と歩いてたら、完全に遅刻コースである。
遼太郎は慌てる桜子に慌てず騒がず、
「間違うか。今日は俺も中学校まで行くからいいんだよ」
「へ?」
「学校までどうやって行くかわからないだろ? 俺が連れてってやるから」
さも当然という顔で言うが、桜子はわたわたと焦る。
「だって、お兄ちゃんも学校……」
「遅れるって連絡入れてる。桜子は学校行く途中で事故に遭ったからな、母さんも心配してるし……」
遼太郎は真顔をして、桜子を振り返り気味に見下ろした。
「俺だって心配だ。今日くらい送らせろ」
図らずも後ろ斜め45°のキメ顔を食らわされ、桜子の仰け反った顔がぼしゅうと音を立てるように真っ赤になった。
(お兄ちゃん……あたしを心配して、学校に遅れるのも構わず送ってくれて……なのに、そんなこと、ひと言も言わないで……)
思わず立ち止まり、桜子は胸の前で両手を組んで、遼太郎の背中をきらきらした目で見つめる。
(それに、“送らせろ”とかちょっとワイルド系男子な感じでイイ~/// そう言えば昨日の夜だって、あたしがビクッビクッてなるまで言葉責めしてきたし、もしかしてお兄ちゃん、実はドS……?)
そんなのって……アリです!
(だって……エスとエヌは! 引き合うのです!)
あくまでも磁石の話です。桜子は自分に気づかず歩いて行く遼太郎の背中に、
「お兄ちゃん!」
「やっぱりお兄ちゃんって、すごくカッコイイね!」
妹にデカい声で叫ばれ、遼太郎はぎょっとしつつ振り返り、、
「何言ってんだ、まったく。置いてくぞ」
「やあん、待ってえ、お兄ちゃんー///」
桜子が小走りで追いつき、兄妹はまた並んで歩き出した。
周りの同じ学校の生徒達は、
(俺ら……私達……何を見せられたわけ……?)
一様に同じ感想を抱いたが、誰も何も言うこともできず、黙々と自らの通学路を踏み締めるより他にはなかった。
**********
やがて、二人は二車線の幹線道路にぶつかった。道沿いに少し歩き、渡ると桜子の中学校はすぐそこ、そのまま行くと駅に至る。
さりげなく車道側を歩いていた遼太郎は、不意に立ち止まると、さっと桜子の肩を抱き寄せた。後ろから来た自転車をやり過ごし、ふと見ると指を組んだ桜子が、心持ち顔を上向きに目を閉じている。
「どうした、桜子?」
「お兄ちゃんキスするのかなあって、覚悟してた……」
「覚悟即が決過ぎない?!」
桜子が目を開き、ちょっと不満そうに頬っぺたをふくらませる。
「しないの……?」
「するか! たとえ彼女できても路チューはせんわ!」
遼太郎は頭の後ろをかきながら、
「お前なあ、そういう冗談は心臓に悪いからヤメなさいよ、ホント……」
今朝から何度目かのため息をつき、
「それはそうと、ここだぞ、桜子」
「え?」
遼太郎は、ちょいちょいと地面を指差した。
「お前が自転車にぶつかって、記憶をなくしたのは」
「ここが……?」
もちろん、桜子は何も覚えていなかった。前にこの道を通ったことさえ、思い出せはしない。
「そのガードレールに頭をぶつけたらしいぞ」
遼太郎がそう言ったのは、上下に二本の塗装されたパイプが走っているタイプのガードレールだった。
「ここに、あたしが……」
そう言って、ガードレールに手を触れた、その時、
「あ……」
桜子は不意に小さく呟いた。
桜子の目が驚いたように見開かれ、歩道にうずくまる。
「あ……ああっ……あああああ……」
遼太郎もギクリとして、桜子の傍らにひざまずいた。
「桜子……お前、まさか記憶が……?!」
「って感じで思い出したら、ビックリするよね」
「マジでぶん殴るぞ、お前」
遼太郎がさすがに握り拳を固めたが、桜子はさっさと立ち上がり、
「いやあ……漫画とかドラマだったりしたら、そういうのもありかなって」
ガードレールを撫でたり叩いたりしている。
「ここが桜子ちゃんのルーツかあ」
「いや、ルーツではないだろう」
「聖地?」
「事故現場だよ?」
桜子はガードレールから手を離し、支柱の根元を見下ろした。
「ここに毎朝花を置いといたら、あたし轢いた人ノイローゼになるかな?」
「ヒデえな、お前」
と、桜子は顔を上げて、
「ここでお兄ちゃんと一緒に頭ぶつけたら、二人の人格が入れ替わらないかな?」
「入れ替わらねえよ。入れ替わったとして、どうするつもりだよ」
「桜子ちゃんに、路チューしてあげる」
「その桜子ちゃん、お兄ちゃんだからね?」
遼太郎はその光景を想像し、二重に怖気が走る。
「何で自分自身に路チューされないといけないんだ。全力で抵抗するわ」
「高校生男子の力に敵うと思ってるんですか?」
「何でお兄ちゃんを力づくで辱めたいわけ?」
と、遼太郎の人差し指の関節が、桜子の頭をコツンと叩いた。
「いて」
「それにしたって、さっきのは冗談が過ぎる」
ちょっと真剣に桜子の目を見つめ、遼太郎が言った。
「俺だって、これでも本気で桜子のこと心配してるんだぞ」
「……ごめんなさい」
さすがにしゅんとして、素直に謝った桜子に、遼太郎はふっと微笑んだ。
「でも、まあ、桜子があまりクヨクヨしてないのは、いいことなのかもな。ただし自分の聖地に花を供えるのはヤメとけな」
「うん……本当にゴメンね、お兄ちゃん」
「もういいよ。さ、行くぞ」
「うんっ!」
こうして二人はまた歩き出した。少し行ってから、桜子はちらりとガードレールを振り返った。
(でもね、お兄ちゃん。あそこは本当に、“あたしのルーツ”なんだよ……?)
あの場所で桜子は事故に遭って、記憶を失って……
そして、この恋は始まった――……
それが幸せなのか不幸なのか、今の桜子にはまだわからない。ただ、ひとつだけ確かなことは……
お兄ちゃんに恋をしている今が、心から幸せだと思えるということだった。