Sister Cherry! ~事故った妹は今日も事故る~【シーズン1】

2.妹、ぱんつを握り締める


【はじめまして、お兄ちゃん!(2/6)】

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 さて、世に氏より育ちと申しまして、実の兄妹でも離れて育つと、後に出会った時に恋愛感情を持つことがあるそうでございます。
 逆に血のつながらない他人でも、兄妹同様に育ったりすると、男女の仲にはなりにくいとも申しますので、人の心というのはまことに面白いものでございます。

 さて、生まれてこの方の記憶を一切合切なくしてしまった桜子さん、主観的には初対面、全くの0ベースで出会った“お兄ちゃん”に恋心を抱くのは、フツウのことなのでしょうか、それともヘンタイなのでありましょうか――……



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 頭を打って記憶を失ってから三日目、桜子はともあれ記憶以外は問題ないということで、目出度く(?)猪ノ口(いのぐち)市民病院を退院した。一応、大事を取って、木曜の今日から今週いっぱい学校は休む予定になっている。

 “お母さん”の運転する軽自動車の助手席に揺られること三十分、ほえーっとした顔で窓の外を流れる5月の町並みを眺めている間に、閑静な住宅地にある家に着いた。
(あ、戸建てだ)
ということは、あたしの家はまあまあ裕福なんだろうか、と桜子は思う。


 あまり必要なかった入院荷物を抱えた“お母さん”の後からついて、恐る恐る玄関をくぐる。
「お邪魔しまーす……」
思わず呟いた桜子に、
「何言ってるの、この子は。自分の家よ」
そう笑った“お母さん”がちょっと寂しそうで、
「うん……ただいま」
桜子は小さな声で、言い直した。

 とは言え、桜子にはこの家で暮らしていた記憶が全くない。勝手がわからず玄関できょろきょろ立ち尽くしていると、“お母さん”が階段を上って二つ目のドアが桜子の部屋だと教えてくれた。
「すぐごはんにするから、リビングにいてもいいけど、部屋でゆっくりしたら?」
と言われて、桜子はそうすることにした。


(あたしの部屋かあ……あたしの部屋なあ……)

 階段を上がって、ひとつめのドアの前を通り過ぎようとして、ふとそこに掛かった木のプレートが目に入った。

『りょうたろう』

 ぼっと顔を赤くして、桜子は慌てて『さくらこ』のプレートの下がったドアに逃げ込んだ。平仮名の名前の後ろには、さくらんぼの絵のパーツが貼ってあった。



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 飛び込んだ部屋は、いかにもな、しかし見覚えのない“女の子の部屋”だった。

 パステルカラーのカーテンとベッドカバー、ベッドにはヌイグルミなんかが並んじゃったりしている。
(あたし、あれ抱いて寝てたりしたのかな?)
フローリングにラグを敷き、その上にはモノトーンの小さなテーブル。床には少女漫画と例のファッション雑誌が何冊か落ちている。デスクはライトブラウンの学習机のままで、
(あ、ノートパソコンあるんだ……)
桜子は見たことのない教科書をぱらぱら捲ってみた。

 どう見ても数日前まで、女の子が生活していた部屋だった。しかし桜子には、その女の子の暮らしが全く見えてこない。


 桜子は物珍しげにきょろきょろ部屋を見回したが、人の部屋を物色しているようで、物に触るのも気が引ける思いだった。
 何の気なしにタンスを開けてみて、畳んだスポブラとぱんつが目に入り、完全に自分がヘンタイな気がして、居場所なげにベッドに腰を下ろした。

 そのまましばらく、桜子は〇と△で描けそうな気の抜けた顔をしていたが、ふとさっき部屋の前でみた、木製のネームプレートの思いが及んだ。

『りょうたろう』


 その途端、桜子の額からぼわっと湯気が立ち昇った。
(そ、そ、そうだった……今日からあたし、遼太郎さんとひとつ屋根の下で暮らすんだよ)
そりゃあ、まあ、兄妹ですから? しかし桜子にとっては由々しき問題である。

 何しろ桜子には、兄・遼太郎の記憶も一切ない。その上、記憶喪失になってからの初対面(・・・)で転びかけたところを抱き留められ、兄とは知らずにひと目惚れをしてしまっている。


 桜子の主観では、出会って二日目の、ひと目で好きになった男の子と一緒の家で暮らす生活が、今まさに唐突にスタートしたわけである。
(な……何なんだ、この展開は。エロ漫……少女漫画かよ、これは。今日から? 一緒に暮らして? 一緒にごはん食べて? 一緒にお風呂入って……)
桜子の右ストレートが桜子の右頬を打ち抜いた。
(一緒“の”! “の”だよ、“に”じゃねーよ、アホンダラ! お湯が一緒ってだけだよ、兄妹でお風呂入って許されるのは法律で小学校までだよ!)

 物理的に頬を赤くして、桜子は息を整え……また顔がにへっと緩んだ。
(……一緒のお湯かあ///)

(やっぱり、目上なんだから遼太郎さんが先のお風呂だよね。遼太郎さんの入ったお湯かあ……お風呂のお湯って、飲んだらお腹壊すかな? あっ、バスク●ン入ってたら飲めな……)

 桜子の左ストレートが、桜子の左頬を打ち抜いた。
(バスク●ンじゃねーよ!)
自らに両頬を打たれ、桜子は肩でぜいぜいと息をついた。
(あたしは、死んだ方がいいかもしれない……)


 桜子はごろんっとベットに仰向けになった。
(だって……“お兄ちゃん”なんだよ、遼太郎さんは。そりゃ、あたしは、記憶なくしちゃって“カッコイイ男の子”にしか見えないけど、遼太郎さんはあたしのこと妹だってわかってるんだから、妹としか見ないよ。うん、大丈夫)
自分に言い聞かせるように、桜子は頷いた。

(妹としか……)

 見上げたシーリングライトが、不意に滲んで、桜子は横に転がった。
(なっ……んで泣いてんだよっ、あたし?!)
さっき両頬を打擲(ちょうちゃく)した両拳が、ごしごし涙を拭ってくれた。
(ア、アホか……否、アホだ。そんなの当たり前じゃん、妹以外の何物でもないじゃん。妹としてしか見なくなかったら、遼太郎さん、とんだヘンタイじゃん)
もしも好きな人が自分を好きになってくれたら、もれなく相手はヘンタイです。それ何て地獄?


 桜子はちょっと泣いて、深呼吸して、ちょっと落ち着いた。
(そ、そうだ、明るい面を見よう。ひと目惚れした人と? 親公認で二日で一緒に暮らせて? 相手は(兄妹だから)基本的に好意的? ふへっ、勝ち組じゃん)
今泣いたカラスが、もう気持ち悪く笑う。
(そうだよ、妹バンザイじゃん。一緒に暮らしてるわけだし、ありのままの素の遼太郎さんが見られるわけだし、アドバンテージ(?)はあたしにアリだよ)

 “ありのままの遼太郎さん”……?


 桜子はまた、仰向けに反転した。
(ありのまま、はあたしの方もか。一緒に暮らしてるんだから、夜はパジャマ姿とか見られちゃうんだよなあ。あたし、可愛いパジャマとか持ってんのかな? それに、下着だって見ら……)

 桜子はがばっと起き上がって、タンスに駆け寄り抽斗(ひきだし)を開けた。
(あー……あんまり可愛いぱんつないじゃん! ブラだっててスポブラばっかだし、何なんだよう、遼太郎さんに見せること考えてないのかよう。しょうがないなあ、買いに行くか。あたし、お小遣いとかどれくらい残……)


「遼君、桜子―。ごはんよー」
「ほーい、行くわ……」
「ひゃああああいっ!」
「?!」

 “お母さん”の呼ぶのに“お兄ちゃん”が応えるのに、桜子の奇声が被り、隣の部屋からガタンッと物音が立った。


 桜子はぱんつを握り締めてきっかり2分、死にたい思いを噛み締めた。


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