Sister Cherry! ~事故った妹は今日も事故る~【シーズン1】

30.勇者桜子と呪いの指輪


【シスター・オブ・ザ・リング(3/4)】

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 遼太郎にプレゼントしたハワイアン風のデザインリング。それと同じものを、桜子は自分の分も買っていた。

 桜子は手の中でリングを転がす。頬が緩む。
(えへへ……お兄ちゃんとお揃い(おそろ)だあ……///)
遼太郎は知らぬが仏の“妹とのペアリング”であった。

 もちろん、遼太郎には絶対内緒で、目の前で着けるつもりはない。遼太郎がリングを気に入るかも確証はなかったけど、
(あれなら、時々は着けてくれるよね)
遼太郎が指輪を嵌めているだろう時、自分もこっそり同じリングを着ける。そんな乙女なことを考えただけで、桜子の胸はトキメくのだ。


 桜子は、そっとリングに左手の小指を通してみた。


 (――……!)

 もはや心の中でさえ言葉にならず、桜子の背中にゾクゾクっと震えが走った。
(ひ、左手の薬指に着けちゃうなんてっ///)
それって、つまりは、そういうことだ。桜子も、遼太郎も、同じリングを薬指に着けている。遼太郎には右手に着けさせたけど、そんなの些細なことだ。
(ちょ……ちょっと照れくさすぎる……///)
桜子は左手を思い切り伸ばして体から離し、赤くなった顔を背ける。チラッと見ると、左の薬指にリングが嵌っている。
(ひやあああ……指輪だあー///)
赤い顔が、さらに赤くなる。ポンコツここに極まれり、だ。


 桜子はひと頻り、照れ、恥ずかしがり、存分に気持ち悪く(カワイらしく)グニャグニャしていたが、やがて少し落ち着いた。
(そろそろお母さんも帰って来るし、晩ごはんはお兄ちゃんの隣だし、見られる訳にはいかない。とりあえず、一回外そう)
名残惜しい気持ちでいっぱいだったが、桜子は薬指のリングを抓んだ。


 ぐっ……ぐっぐっ……ぐっ……

「ウソだあ……?」


 桜子は呆然として、己の左手を見下ろしていた。予定通りというか、お約束というか、リングは薬指から抜けなくなっていた。
「ちょ、ウソ?! マジで?! 抜けないんだけどっ?!」
慌てふためいて引っ張ってみたが、関節でギチッと止まって抜けない。しばらく無理矢理抜こうとしたが、指は赤くなり、これ以上は血が出るやつだ。

 遼太郎にはタングステンリングの危険性を説明し、サイズも余裕を見たのに、自分自身はこの失態……
「そうだ、何か、潤滑になるやつ……」


 指輪が抜けない時は、よく石鹸で滑らせるとか言う。桜子はハンドクリームを指にたっぷり塗り、再度取り外しを試みるが……ダメだった。
「♪てか、抜けないんじゃないか」
倫理観の欠如と無機物との交尾は、浮かれてた桜子の自分の部屋で起こった。
「♪それでもー『好―きー』とか(笑)」
言うてる場合か、モザイクはもうええねん。大好きなお兄ちゃんとお揃いの“幸せの指輪”とばかり思っていたものが、まさかの……


 ♪デロデロデロデロ……

【さくらこは ゆびわを そうびした】
【なんと ゆびわは のろわれていた!】

 タングステン……ダイヤモンドに次ぐ“地球上で二番目に硬い”金属……



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 桜子は静かにドアを開け、足音を忍ばせて階段を下りると、洗面所に駆け込んでハンドソープを試した。おかーさんのクレンジングオイルも試みた。何の成果も得られませんでした。
(ウソでしょお? マズい、マズいって……)
桜子がじっとり汗をかきながら悪戦苦闘していると……ガチャリ。

「ただいまー」

 レジ袋の音をさせ、おかーさんが帰って来た。桜子は慌てて洗面台の泡やオイルを流し、玄関を経由して、
「おかーさん、おかえりなさい」
階段を駆け上がった。いつもなら絶対に晩ごはんのオカズを訊く桜子なのに、おかーさんはちょっと首を傾げた。


 部屋に戻ったが状況は変わらない。否、刻一刻と悪化している。
(晩ごはんまでに、これが外れないと……)
桜子は“呪い”で死ぬ。

 桜子思いつく限りの方法で解呪を試みたが……1時間後、薄暗くなった部屋の電気も点けず、三角座りで時々左右に揺れていた。

「ごはんよー」

 無情にも、死刑の時は訪れた。



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 「……」「……」

 遼太郎とおかーさんは、左手をテーブルの下にしたまま、もっそもっそとメシを食う桜子の態度に、無言で顔を見合わせていた。


 今日のメニューは鯵の塩焼きに根深汁という和食に加え、高校生の息子にはボリュームが足りないかもと、母の心遣いにウインナーたっぷりの野菜炒めを合わせている。

 おかーさんの知る限り、ごま油をちょい垂らしにしたネギの味噌汁は桜子の好物で、献立が気に入らなくの娘の不機嫌ではないはずだ。

 遼太郎の知る限り、指輪をプレゼントしてくれた時の桜子は、すこぶる上機嫌だったはずだ。
(やっぱ、あの“頬っぺにチュー”がマズかったか……?)
それでも桜子が、自分にこんなふうに不機嫌をぶつけるのは、記憶をなくしてからこっちでは初めてのことだった。


 しかし、さすがにおかーさんは見かねて言う。
「桜子? お行儀が悪いから、手はテーブルの上に……」
ところが桜子は鯵の塩焼きを箸でほぐしながら、
「うるさいなあ。あたしの勝手じゃん」

(桜子に二度目の第二次反抗期が来た……!)

 こういう桜子に、母と兄は見覚えがあった。中一になりたての頃の桜子がちょうどこんな感じだったのだ。
(記憶をなくして子ども返りして、そこから思春期迎えるか……)
こういう時の桜子には下手にかまわないほうがいい。おかーさんと遼太郎は経験則から知っている。


 しかし、一応遼太郎は兄として、
「母さんのその言い方はないだろう」
ひと言くらいは言っておく。すると桜子はビクッとして、すぐにちょっと泣きそうな顔になると、渋々といった様子で左手をテーブルの上に置いた。


 その薬指には、ハンカチが巻いてあった。


 それを見たおかーさんが、
「どうしたの、それ?」
と訊くと、桜子は困った顔をして、
「学校で、体育の時に突き指して……おかーさん、心配すると思ったから……」
そう答えた。
「大丈夫なの?」
「うん、そんなに大したことはないから」
「湿布しとけば?」
遼太郎が口を挟むと、桜子はぱっと顔を明るくして、
「うん、そうする! ありがとう、お兄ちゃん!」
すっかり“いつもの桜子”に戻って、席を立ち、リビングのサイドボードに置いてある救急箱に駆けて行った。

 背中を向けてケガの手当てをしている桜子に、遼太郎達はまた顔を見合わせた。結局、親に心配させたくなくて、誤魔化そうとしていただけらしい。

(反抗期、まだ来てなかったな……)


「て言うか、クセエな」
「うん、ごはん時に貼るもんじゃないよね」



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 夕食後、部屋に戻った桜子は指の湿布(モザイク)を外した。当然ながら、呪いの指輪はいまだ桜子の薬指に食い込んでいる。

(万策尽きた……)


 桜子はネットで【タングステン 指輪 抜けない】を討ち込んでみたが、検索結果は絶望的だった。

 地球上で二番目に硬いタングステンは、変形させたり、リングカッターで切断することはほぼ不可能らしい。この上は病院に行くか、消防署のレスキューに相談を持ち込むか、大事にせず自力で対処することは難しそうだ。この“世界”では、教会に行っても呪いを解いたり、セーブできたりすることはない。
(もはや“滅びの罅裂(かれつ)”に身を投げるしか……)
中つ国を旅して済むなら、今の桜子はリュックを背負って喜んで旅立つ。

(後は……自分でできることと言えば……)

 桜子が暗い目をしてAmazonの検索に文字を入れていると……


「桜子、入るぞ」


 遼太郎の声がしたかと思うと、返事をする間もなくドアが開かれた。桜子は慌てて左手を机の下に隠し、振り返った。
「な、何、お兄ちゃん? て言うか、妹の部屋、ノックもせずに開けないでくださいっ。着替えてたり、疚しいことしてたらどーするんですか!?」
「襲う」
「ひゃあいっ?!」
声の裏返った桜子につかつかと近寄り、
「冗談に決まってるだろ」
遼太郎は桜子の左の手首を取ると、ぐいっと引っ張った。

「あっ……」
「こんなことだろうと思ったよ」


 呆れたように言う遼太郎の視線の先には、桜子の左の薬指から頑なに抜けてくれない呪いの指輪。
(み、見られた……)
桜子はボシュウと耳まで真っ赤になり、目を回す。指輪が抜けないのも恥ずかしいのに、遼太郎とお揃いで、しかも左の薬指。3アウト、チェンジだ。

 ほぼ死にかけてうなだれる桜子に、遼太郎はため息をついた。
「抜けないんだな?」
「……はい……」
「俺と同じ指輪か。ちょっと厄介なんだな?」
恥ずかしくて死にそうな桜子だったが、チラリと目を上げると、遼太郎はニヤニヤするなど全くなくて、真剣な目にドキッとする。
「言えよ。そういう時は、俺に」
「うん、でも、恥ずかしくて、自分で何とかしようと……」
「いや、お前は自分だけで抱え込むな」
遼太郎は桜子のノートパソコンを見て、そう言った。
「お前のAmazonの検索画面、怖えよ」


【医療用 のこぎり】
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「どうしようとしてたんだよ」
「もう……切断するしかないかと……」
「指の方をかよ。お前は思い切りが激し過ぎる」


 遼太郎は桜子の頭をぽんと叩き、スマホを取り出して、何かを調べているようだった。少しして、遼太郎は桜子に、
「糸、あるか?」
そう訊いた。
「えっと、確かソーイングセットが……」
桜子は机の抽斗(ひきだし)から裁縫セットを探し出すと、遼太郎は太めの糸を選び、適当な長さに切ると、
「手え出せ。そのパソコンでも、指を切断する道具の前に調べることが、幾つでもあったぞ」
桜子の左手を取り、指とリングの間に糸を通した。

 遼太郎はそうして、桜子の指先に向かってかなりキツめに糸をぐるぐる巻きつけていった。関節も指も、ぎゅっと締め上げられる。
「ハンドクリームとかあるか?」
桜子が散々使ったチューブを差し出すと、遼太郎はひと掬いを丁寧に指に巻かれた糸に塗りつけた。


 それから遼太郎は、桜子の指の付け根側から糸を解き始めた。糸が解けるに従い、指輪は指先へ向かって少しずつ引っ張られる。やっぱり関節でグッと引っ掛かったものの、
「痛かったら言えよ」
難所は糸で締め付けられて細くなっていて、じわり、じわりと力が掛かって、ちょっとずつ、ちょっとずつ……リングは、桜子の左薬指の関節を越えた。

「は……ずれたあ……!」

 指の一番太い場所を過ぎた指輪を、机にカツンと落として、桜子は覚えている限りの短い生涯で、最大の安堵に全身の力がくたくたと抜けた。


 遼太郎も心底ホッとしたが、そこはドヤ顔してはカッコ悪い、さも当然という顔を妹に向ける。
「だから言ったろ? これからも何か困ったら俺に言えよ」
桜子サイドからすれば、カッコ良くて大好きなお兄ちゃんが、今もまた颯爽とこともなげに、絶体絶命の自分を悠々と助けてくれたようにしか見えない。

「……あなたが神か」
「YES,I AM!」

 遼太郎が人差し指を、頭上から真直ぐに振り下ろした。


 桜子は思う。“呪い”は教会では解けないし、リングカッターで断ち切ることもできない。けど、白雪姫や眠り姫を観た女の子は知っている。

 お姫様に掛けられた呪いは、きっと王子様のキスだけが――……


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