Sister Cherry! ~事故った妹は今日も事故る~【シーズン1】
31.タングステンは砕けない
【シスター・オブ・ザ・リング(2/4)】
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桜子にとって遼太郎は、指の切断も覚悟した危機からの救いの“神”だった。だが聖書を紐解けば一目瞭然なよう、この世界は“残酷な神”が支配するものだ。
遼太郎も“神”のご多分に漏れず、桜子の机の上から“呪いの指輪”をつまみ上げると、天井のシーリングに翳した。
「つうか、お前、俺と同じリング買ってたの?」
「えっ、あっ、それはっ……」
絶体絶命を脱して安堵の極みにあった桜子は、そもそもの遼太郎には絶対知られたくない秘密の部分を失念していた。
「それが抜けなくなるとか(笑)」
「違……デザインが気に入って、それで自分の分も買っただけだし! 別に、お兄ちゃんとお揃いとかじゃないし!」
「いや、同じの買ったらお揃いじゃん」
「ちーがーいーまーすーう。じゃあ、お兄ちゃんユニクロでフリース買ったら、みんなとペアルックなわけ? 自意識過剰なんじゃないのー?」
桜子が強がって、赤い顔をしてそっぽを向くと、遼太郎は鼻の下を擦る。
「まあ……そう言われると、桜子の言う通りかもしれないけど」
「そーだよ。勘違いだよ、カ・ン・チ・ガ・イ」
遼太郎が矛先を引っ込めたので、振り向くと、そこにはまだ意地悪な笑みがある。
「けど、ユニクロの客は、左の薬指に指輪嵌めなくない?」
「っ! もー、お兄ちゃん、出てってよお! 桜子の部屋から出てって!」
恥ずかしいのと怒ったのとで、桜子は増々真っ赤になって叫んだ。
いつも桜子にやり込められている遼太郎としては、こうして攻勢に出るチャンスは貴重だ。
「桜子は、“お兄ちゃんのお嫁さんになりたい系女子”なのか?」
「出てっててばあ!」
と、不意に渦巻き目で真っ赤な桜子が、真顔に戻った。
そしていきなり、シャツをガバッと脱ぎ捨て、上半身下着姿になった。
「ちょ、何?!」
あまりのことに形勢逆転、すっかり狼狽した兄に向かって、ブラを丸出しにした妹が据わった目で言う。
「今から10秒以内に部屋から出て行かなかったら、桜子は大声を上げて、お前と刺し違えてここで死ぬ」
ここに、この状況で、母さんを召喚する……だと?
「待て、マジでちょっと待ってください」
妹の下着姿を直視するわけにもいかず、遼太郎は慌てて両手を顔の前に翳して、目を背ける。
「5秒でブラも取る。いーち、にーい、さぁー……!」
「わかった! お兄ちゃんの負けだ! 悪かった!」
さすがは“自爆型殲滅兵器”、桜子に自らを人質にされ、遼太郎はくるりと背を向けて撤退する。
「お兄ちゃん!」
呼び止められ、振り向きかけて、遼太郎はバッと前を向き直る。
「ありがとうっ! 出てけっ!」
「相反する二つの感情があるわけだな」
桜子の部屋から逃げ出すと、後ろ手に閉めたドアに何か柔らかいもの、たぶん枕がぼふっと音を立ててぶつかった。
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ヌイグルミのクマさんを投げた桜子は、ハアハアと肩で息をしている、
そして我に返ると、またお兄ちゃんに助けてもらって、呪いの指輪から解放されて、上半身ブラ一枚の自分がいる。
(……何だこれは?)
しばし桜子は、床にスンッとした顔で転がるクマさんを見つめていたが、ふと顔を上げると、
(……お風呂入ろう)
脱いでしまったことに、前向きに対処することに決め、上が下着だけのまま、パジャマと替えのぱんつを手に部屋を出た。
階段を下りたところで、タイミングを計ったかのように玄関の扉が開いた、父・照一郎の遅い帰宅である。
「あ。おとーさん、お帰りなさい」
「ああ、ただいま、さくら……うわあ?!」
お出迎えに靴を脱ぎつつ顔を上げると、娘が上半身下着姿なのを目にして、さすがのおとーさんも大声を上げた。
「な、何て恰好してるんだ!」
「あ、いや、その……パパ、一緒にお風呂入る……?」
小学校四年生の頃以来のお誘いに、一瞬心の揺れなくもなかった照一郎だが、すぐに我に返って、
「バカなこと言うんじゃない。桜子、お前も年頃なんだから、あんまりはしたない恰好でウロウロしちゃイカンぞ……」
「はーい」
父の動揺をよそに、娘はあっけらかんと風呂場へ行く。
家庭でも仕事でも常に落ち着きを崩さない父・照一郎であったが、久々に、
(ふむ。自分も狼狽というものをするのだな)
と真面目な顔で考えていた。
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髪を洗い、体を洗い、バスタブに身を沈める。
手を動かしている間はともかく、やることがなくなった今、頭の中でさっきの出来事がぐるぐる回り、桜子は湯船に三角座りで顔をひきつらせている。
(また……事故ってしまいました……)
顔の赤さは、当然、温まったからばかりではない。
結局また、お兄ちゃんに助けられてしまった。それなのに、逆ギレして部屋から追い出してしまった。
(それもお兄ちゃんの前で、勢い任せに脱いで、……)
ブラジャー丸出しで。恥ずかしさのあまり、桜子は鼻の上までお湯に沈み込む。
(だって、お兄ちゃんがあんなにからかうんだもん……)
ため息が、ぶくぶくと湯船の泡になる。
自己嫌悪、だ。
折角お兄ちゃんにプレゼントをしたのに、あたしはまた失敗して、お兄ちゃんに迷惑掛けて、その上ケンカみたいになっちゃって……
(上手くいかないなあ……)
そうだ、考えてみればそもそも上手くいくはずがないんだ。お兄ちゃんへの、妹の恋心なんて。
じわっと涙が浮かんできて、桜子はバシャバシャとお湯で顔を洗った。
何だか、あの指輪が桜子と遼太郎の関係を象徴しているように思える。
キラキラして、嬉しくて、思わず手を伸ばしてみたくなるけど、実際に行動に起こしたら取り返しのつかないことになる。それが兄と妹という関係だ。抜けなくなった指輪は、そのことを桜子に警告したように思えた。
それに……桜子の保健体育の知識は乏しかったが、指輪と指がそれとなく暗示するメタファーに、全く思い至らないわけでもなかった。
桜子はその考えを慌てて打ち消し、ますます顔を茹で上がらせる。
(バカだ……あたしはバカで、どうしようもないヘンタイだ……)
ざぶっと、お湯に顔を浸ける。
(お風呂はいいな……)
どれだけ泣いても、涙を拭かなくていいから。お風呂のお湯にいっぱい涙を溶かしておけば、後で浸かったお兄ちゃんが、少しは桜子の切ない気持ちを感じてくれるだろうか。そして桜子は……
案の定、ノボせた。
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パジャマに着替え、髪を乾かす。自己嫌悪の沼に浸かり、さらに湯あたり気味でぐったりもして、桜子はトボトボと部屋に戻る。
と、玄関の前で行きと同様、またドアがガチャッと開いた。
「おう、風呂から出たか」
「お、お兄ちゃ……っ」
帰って来たのはコンビニの袋を下げた遼太郎だった。部屋着の上に、桜子の見繕ったネイビーのパーカーをはおっている。
桜子は焦る。鏡で見た限り、今、結構ヒドい顔をしている。遼太郎に見せられる顔じゃあない。
(もっと見せちゃいけないモノ見せといて、今更だけど……っ)
逃げようとした桜子だったが、遼太郎は笑顔になって、ガサッとコンビニの袋を突き出した。
「ちょうど良かった、アイス買って来たぞ」
「へっ……?」
ぽかんとする桜子に、遼太郎は人差し指で鼻の下を擦った。
「……さっきはからかって悪かったよ。ほら、お詫び」
ちょっと決まり悪そうな遼太郎を見ている桜子に、満面の笑みが浮かんだ。
「許すっ!」
そう言って、桜子は遼太郎に抱きついた。
「だから、桜子お兄ちゃん大好き!」
遼太郎も二ッと笑い、袋の口を開いて桜子に見せる。
「ハーゲンダッツとガリガリ君、どっちがいい?」
「おま……それはどういう心境の二択なんだ……?」
「罪と罰、贖罪と赦しを求める境地です」
桜子は、ためらわずハーゲンダッツを取った。
桜子の部屋で、二人笑いながらアイスを食べた。
「お兄ちゃん、さっきは、その……変なモノ見せてゴメンね?」
桜子が照れながら言うと、遼太郎は真顔で……
「いや、あれは良いモノだった」
「んあっ?!」
「また、してくれていいぞ」
「お……お兄ちゃんはエッチだ……!」
桜子が赤くなって呟くと、遼太郎はニヤリとしてアイスを齧る。桜子は顔を赤くしつつも、にいっと悪戯っぽく笑う。
「今、しようか? 下、何も着けてないけど」
「すんません、またお兄ちゃんが悪かったです」
そんな桜子の机の抽斗には、指から抜けたタングステンリングが大切にしまわれている。
とりあえず、当分は着けるつもりはない。けれど、捨ててしまう気もない。
その指輪の込められた気持ちは、今度こそ遼太郎には内緒の桜子の秘密。隠したリングは桜子にとって戒めであり、遼太郎への誓いでもある。
たぶん、その気持ちはダイヤモンドよりも硬い。