悪役令嬢は子ども食堂を始めた模様です!【WEB版】

「くんくん……あれ? 甘い果実の匂いがします」
「こっち?」
「はい。どうしますか?」

 いつもベリーを採りに行く方とは少し離れた方角。
 こっちは町に近い。
 まあ、どうしましょう?
 甘い果実とやらはとても気になる。
 新しいジャムに使えるかもしれないし、デザートやケーキに添えたり出来るかも……。
 いえ、どんなに言い訳がましく並べ立てても、こんなに自由に一人で出歩く事にまだまだ不慣れなわたしは好奇心が勝ったのだ。

「行ってみましょうか」
「はい! あの、なにが出ても僕がユニーカさんを守るので、大丈夫ですからね!」
「ヘレス……」

 なんてかわいらしい!
 思わず素で喜んでしまったわ!

「うふふ、ありがとう! 頼りにしているわ」
「は、はいっ!」

 かわいいわぁ……弟がいたらこんな感じなのかしら?
 そういえば小さな頃、兄さん……お兄様もよく手を繋いで色々なところへ連れていってくれたわ。

「あのね、ヘレス。わたし小さな頃はとても外出嫌いで、お庭に出る事もしない子どもだったのよ」
「え?」
「小さな頃はあのお屋敷より大きな屋敷に住んでいて、庭は庭師が整えていて綺麗だったのだけれど……そのお庭で蛇に噛まれそうになって以来、引きこもってしまったの」

 その蛇はお兄様が追い払ってくれて、わたしは噛まれる事はなかったんだけど……その一件が原因でわたしは外に出るのが怖くなってしまった。
 その怯えぶりから両親、使用人もわたしをとても甘やかすようになり、わたしは次第に我儘になっていく。
 今思うと、本当にあのまま成長しなくて良かったと思う。
 ……わたしがあのまま成長しなかったのは、お兄様がわたしを引っ叩いて叱ってくれたおかげだ。
 蛇からも助けてくれたお兄様。
 そのお兄様が眼許を腫らして、わたしに「いい加減にしろ! 我儘ばかり言って、みんなを困らせているのが分からないのか! 人の気持ちが分からないような奴は俺の妹じゃない! 人の気持ちを考えられない奴は大嫌いだ! お前が困っていても、俺は二度と助けないぞ!」と怒鳴りつけたのだ。
 あの時、お兄様はほんの少しだけ涙を滲ませていた。
 わたしの事を本気で叱ってくれている。
 わたしの事を本気で考えて……。

「それ以来、兄さんはわたしを色々なところへ連れて行ってくれるようになったのよ。外は怖いものが多いけど、得るものの方が多い。いろんなものに触れ、いろんな人に出会い、色々な考え方を学び、よく人を見て、知ろうとすれば、心という世界はいくらでも広がっていくんですって」
「心という、世界……」
「そう。人の心の機微は相手をちゃんと見ていないと分からない。でも相手を思い遣ったり、考えたりすると自ずと分かるようになってくる。『相手を見る』というのはとても難しいけれど、それが出来るようになると、相手だけでなく自分も幸せになれる。兄さんはそう言っていたわ」
「シュナイドさんが……」
「ヘレスは出来ていると思うわよ」
「え!」

 だってヘレスはいつもわたしたちを気遣ってくれる。
 こちらが気づく前に汚れているところを見つけて掃除してくれたり、シーツを洗ってくれていたり、とても気が利く。
 それはわたしたちの事をよく見ていてくれるからだろう。

「違う?」

 そう指摘すると、一瞬顔を赤くする。
 褐色の肌は、染まると色が濃くなるのだ。
 もちろんそれだけではない。
 金色の瞳が揺らぎ、ヘレスの場合は唇が震えるの。

「……そ、それは……追い出されたくないから……。僕、他に行く当てもないし……頼れる人もいないし……」
「そう……」

 魔族の事。わたしはまだ、知らない事の方が圧倒的に多い。
 だからいつか行ってみたいと思う。
 ヘレスの生まれ育った国。
 ヘレスと生活してきて、魔族が人間族や精霊が嫌うような存在ではないと確信した。
 だってそんな存在ばかりなら、ヘレスのようないい子に育つわけがないわ。
 頭を撫でてあげたいけど、バスケットとヘレスと手を繋いでいて空きがない。

「ヘレスは頑張り屋さんで、本当にいい子ね」
「……う、うー……」
「どうしたの?」
「ほ、褒められ慣れてないので、恥ずかしいですっ」
「あらあら……」

 こんなにいい子のヘレスが褒められないなんて、『魔族国』ってやっぱり謎が多いわね。

「……! 人の声がします。ユニーカさん」
「え? ……もしかして町の人かしら?」

 だとしたらまだヘレスを会わせるわけにはいかないわ。
 甘い果実の匂いは気になるけれど、今日のところは諦めるべきかも。

「……! ……!」

 え? 待って?
 今の声……。

「ヘレス、ヘレスはわたしよりも耳がいいわよね?」
「え? は、はい」
「今聞こえたの、兄さんの声じゃ……」
「……、……や、やっぱりそう、思いますか?」

 という事はヘレスもそう思ったのね?
 だから様子がどこかおかしかったんだ?
 なんだか言い争っているようにも聞こえる……商談が失敗しかけているのかしら?
 わたしに出来る事は、ない?

「はしたないけれど、兄さんが心配だわ。少し近づいて様子をみましょう。もし危なくなったら兄さんを助けなきゃ」
「は、はいっ」

 兄さん。
 わたしにとって兄さんは恩人だ。
 先程の話の続きだけれど、兄さんに叱られて、外へ出るようになったわたしは、ほとんど兄さんの仲介のような感じでシーナ殿下との婚約が決まった。
 元々婚約者候補止まりだったのだが、兄さんとシーナ殿下が友人になった事が最大の後押しとなったのよ。
 婚約者なんて、政略的な事。
 それでもシーナ殿下はわたしを『未来の妻』と呼び、紳士的に、そして真摯に接してくれた。
 そんなシーナ殿下にわたしもいつしか──恋をしていたの……。
 今となっては、それが少しだけ疼く傷となっている。
 いえ、いいの。
 あの時あの場で殿下に「証拠もないのに」とわたしを庇おうとしてくれた、それだけで十分。
 わたしの心は……初恋は……それで十分、思い出に出来る。

「!」

 だから、だから……忘れようとしていたのよ。
 綺麗な思い出にして、それでおしまいに。
 なのに、わたしからすべてを奪った女が兄さんの胸に飛び込む瞬間を……見てしまった。

「……っ!」

 な、なにをしているのイリーナ。
 あなたは殿下と……結婚するんでしょう?
 四属性の精霊に愛された『勝利の聖女』。
 それだけの肩書があればシーナ殿下の妻に相応しいと、周りがもてはやすはず。
 王妃教育を受けていなくても、四属性の精霊に愛された『勝利の聖女』と言われれば……あまつさえ魔王もその力で打ち倒したのだから……誰も反対などしないだろう。
 なのに、なのに、あの女は……わたしの──!

「やめろ!」

 わたしが飛び出しそうになる瞬間、抱きつかれた兄さんがイリーナを突き飛ばす。
 その光景に、「淑女に乱暴なんて」と兄さんを怒るべきなのに、逆に安堵してしまった。
 良かった、兄さんはイリーナを、拒んだ。
 兄さんまで奪われたら、わたしは……。

「いい加減にしろ! 乙女ゲームだかなんだか知らないが、俺はお前の言う攻略対象シュナイド・モリカじゃない! シナリオなんて知るもんかよ!」
「むぅっ! ……でも、やっぱりシュナイド様がおかしいのよ……悪役令嬢のユニーカ・モニカがあんなに穏やかなのも、聞いた話じゃシュナイド様が小さな頃から躾けたおかげだって言うじゃない? シーナ様が言ってた」
「それがなんだ? 妹を立派な王妃候補の淑女にするのは、兄の務めだろう?」
「だからそれが変なんですぅ! ユニーカ・モニカは小さな頃、蛇に噛まれて高熱でうなされ、それ以来引きこもるようになる! 妹を助けられなかったシュナイド様はユニーカに振り回され言いなりになって、シーナ殿下やハルンド様共々それはもう迷惑をかけられまくり! ヒロインで主人公の私がそれを返り討ちにして逆ハーレムエンド! ……のはずだったのに」
「……本当になにを言ってるんだ」

 兄さんのあんなに冷たい声色、初めて聞いた。
 心の底からの嫌悪。
 それにしても、イリーナがなにを言っているのかさっぱり分からない。
 逆ハーレ……なんて?

「私頑張ってきたんですよ? 魔王と戦うために剣の扱いも魔法もすごく頑張って覚えました! 精霊に愛されてるから、平民時代はすごく変人扱いされて独りぼっちで……でも、この戦いを乗り越えれば幸せになれる! そう思ってすごく、すごく! なのに、なんでシュナイド様だけ私を嫌うんですか!」
「……俺や妹だけでなく、両親や使用人たちまで迷惑を被ったんだぞ。自分がなにを言ってるのか分かってないのか?」
「私、私、シュナイド様の事……本気で好きなんです!」

 ……息を飲んだ。
 イリーナ、あなた……本当になにを言って……?

「シナリオ通りにしないと、シュナイド様は魔族に殺されてしまうんですよ!」
「……」

 兄さん……が……魔族に……?
 ど、どういう事!?

「二周目シナリオ、だっけ? そんなシナリオ、そのまま進むわけないだろう?」
「どうして信じてくれないんですか! 私の言った事、全部本当になってるでしょう!? このままだと本当にシュナイド様は──!」
「そうだな。君の言う通りになってる。でも、妹がシーナに毒を盛った件は君が仕組んだ事だろう? 生憎、それはシーナも知ってるよ」
「っ!!」

 え?
 シーナ殿下が……イリーナがわたしに罪を被せた事知っている?
 ま、待って、どういう事?
 頭が追いつかない!

「知った上でシーナはユニーカを捨てて君を選ぶんだ。なあ、これがどういう意味か分かるか? これからこの国の王になるための判断だ。そして、一人の男としてのけじめと覚悟だ。このまま君の側にユニーカを置いておけば危険が及ぶと思ってな! つまり、君の味方はハルンドだけだよ」
「……そ、そんなわけ……」
「信じないならそれでもいいが、君の言うシナリオ通りの展開になっていったとしても、すべてが君の思い通りにはならないぞ。俺たちは生きた人間だ。ゲームの通りになんて動かない。少なくとも俺もシーナも、君が嫌いだ」
「…………!」

 大きな瞳を、さらに大きく見開くイリーナ。
 言葉を失った、という様子。
 でも兄さんは目を逸らさない。
 女性を真正面から傷つけているのに……わたしの心は喜んでいる。
 最低……なのだろう。
 でも、兄さんが彼女のものにならないと言ってくれた。
 シーナ殿下はわたしが無実だと分かった上で、彼女から遠ざけるために婚約を破棄した。
 そんな風に言われたら……。

「っ……」
「…………」

 ヘレスがわたしの手を強く握り締める。
 泣いてしまう。
 そんなわたしを優しく見つめてくれる。
 うん、うん……わたしは泣かないわ、大丈夫。

「なんで? 私はみんなのためにここにいるのに……みんなのために、前世の知識を使って頑張ってるのに……なんでそんな風に嫌われなくちゃいけないんですか……?」
「使い方が間違ってんだよ。恩着せがましいしな」
「…………。分かりました。今日のところはあきらめます。でも、いつか必ず私のところに帰ってきてもらいますから……シュナイド様……」

 イリーナはそう言い放ち、町の方へと駆けていく。
 深い溜息。
 兄さんが呆れたように頭を掻きながら吐いたのだ。
 それからわたしたちに気づく事なく立ち去っていく。

「行っちゃいました、ユニーカさん」
「うん……」
「あの人たち、なにを言っていたんですか?」
「……わたしにもよく分からないわ。……でも……」

 おとめげーむ……、とか、逆ハーレムとか、シナリオ、とか……分からない単語も多かった。
 でも一番衝撃的だったのはシーナ殿下の事。
 前世の記憶、知識……意味は分かるけどにわかには信じがたい言葉も……。
 イリーナには前世の記憶があるというの?
 その知識を悪用して、パーティーの日にあんな事を……?
 兄さんもシーナ殿下もそれを知っていた。
 知っていてわたしをイリーナから遠ざけるために、鵜呑みにしたフリをして婚約破棄や廃爵を?
 ……廃爵はやりすぎな気もするけれど……それもなにか考えがあっての事かもしれない。

「わたし……シーナ殿下の事を……」
「ユニーカさん……」
「ごめんなさい、ヘレス。わたし、さっき偉そうにあんな事を言ったけど……わたしまだまだ……全然ダメだったみたい。殿下の心を汲み取る事も出来ない。そんな事も知らずに、一人ですべて勝手に終わらせようとしてた……」

 泣かない。
 でも、胸が引き裂かれそう。
 ああ、わたし……どうしたらいいの?
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