極上御曹司と授かり溺愛婚~パパの過保護が止まりません~
私の父は全国に展開する呉服問屋『嵯峨野』の社長で、聖ホールディングスのパーティーに出席する父についていった際に、私は朔也さんに出会った。大学二年の秋のこと。
そのパーティーで知人はいなく、振袖を着ていて身動きがあまりできずに退屈な時間を過ごしていた私は、会場の隅で着物を着た白髪で品のいい女性が目に留まった。
その女性は具合が悪そうに見え、話しかけてみるとやはり胸の痛みを訴えた。今にも意識を失いそうで、咄嗟にスマホから救急車を呼んだ。そこへやって来たのがその女性の孫である朔也さんだった。
救急車を呼んだのは正解で、あと少し遅ければ命に関わるほど深刻な状態だったらしい。
数日後朔也さんからお礼をしたいと連絡があり、何回か会ったのち私たちはお互いに好意を抱き、愛を育んでいった。
おばあさまは私たちの交際を喜んでくれたが、残念ながら去年の冬に肺炎が悪化して亡くなってしまった。
朔也さんからプロポーズされたのは、四年生に進級したお祝いのディナーのときだった。信じられなかった。
彼は大人で、そしてなににおいても完璧な人。朔也さんに比べたらまだまだ子どもの私が、彼の妻でいいのだろうかと考えもした。けれど私はもう彼を愛していて、いつでもそばにいたい気持ちで占められており、プロポーズを受けた。
朔也さんは聖家の長男で、ゆくゆくは聖ホールディングスの社長になる人。そんな人の妻になるには、就職は二の次になる。
大学卒業後は、内助の功で朔也さんをサポートすると自分に誓い、専業主婦になろうと決めた。
そのパーティーで知人はいなく、振袖を着ていて身動きがあまりできずに退屈な時間を過ごしていた私は、会場の隅で着物を着た白髪で品のいい女性が目に留まった。
その女性は具合が悪そうに見え、話しかけてみるとやはり胸の痛みを訴えた。今にも意識を失いそうで、咄嗟にスマホから救急車を呼んだ。そこへやって来たのがその女性の孫である朔也さんだった。
救急車を呼んだのは正解で、あと少し遅ければ命に関わるほど深刻な状態だったらしい。
数日後朔也さんからお礼をしたいと連絡があり、何回か会ったのち私たちはお互いに好意を抱き、愛を育んでいった。
おばあさまは私たちの交際を喜んでくれたが、残念ながら去年の冬に肺炎が悪化して亡くなってしまった。
朔也さんからプロポーズされたのは、四年生に進級したお祝いのディナーのときだった。信じられなかった。
彼は大人で、そしてなににおいても完璧な人。朔也さんに比べたらまだまだ子どもの私が、彼の妻でいいのだろうかと考えもした。けれど私はもう彼を愛していて、いつでもそばにいたい気持ちで占められており、プロポーズを受けた。
朔也さんは聖家の長男で、ゆくゆくは聖ホールディングスの社長になる人。そんな人の妻になるには、就職は二の次になる。
大学卒業後は、内助の功で朔也さんをサポートすると自分に誓い、専業主婦になろうと決めた。