【改訂版】CEOは溺愛妻を杜に隠してる
三ツ森家始末記
長谷川 武。
ひかるより一月前に三ツ森大樹事務所のドアを叩いた、限りなく同期にちかい兄弟子にあたる。
彼は色々病んでいた。
そのことに周囲が気づくのは、ひかるが長谷川を振ってからだった。
三ツ森事務所は完全な能力主義。
成長の早い者は先輩のあとについて三つも四つも庭をかけもちするし、仕事ぶりを評価されるといきなり一つの庭を任されたりする。
そのカリキュラムは決まっていない。
大樹自身が天才レベルの職人であったため、彼は木を一つ一つ見定めて剪定するように、自分の下に集まった若者を一人一人職人へと育てていった。
自分を評価してくれない周囲に大きな不満を持ち、人間関係に疲れていた(らしい)長谷川はまず、大樹が自分につききりなのを喜んだ。
そして、ひかるが来る日も庭の掃除をやらされていることに昏い優越感を抱いた。
――叔父様は単に、仕事がわかっているひかるちゃんに好きに庭を回らせ、なにをしでかすかわからない長谷川を側にいさせることで監視していただけ――
はじめはひかるもそう考えていたはずだ、と玲奈は苦く思う。
しかし、自分のほうがひかるより優れている、自分こそが三ツ森事務所の後継に相応しいと信じ込んだ男に。
己の地位を盤石にするため、ひかるに大樹へ自身を推薦してもらおうと考えた長谷川に。
彼女に自分を唯一無二の相手と思わせるにはどうすればいい。
そうだ、彼女を自分に惚れさせればいいと結論づけた人間に。
ひかるが洗脳されるまで時間はかからなかった。
長谷川の方が一度社会人を経験していたこと、有名な大学を出ていたことも、ひかるにとっては不幸であったかもしれない。
父の顧客は中卒でも傑物であり、有名な大学を出ていた者で無能な者はいなかった。
ひかるは、父が有能な人物としか付き合いをしないことや、大学の偏差値は人格を現す数値ではないことを知らなかった。
また、心身健やかで成熟した人間に囲まれていたひかるは、戸籍上成人していても中身が未成熟でいびつな人間が存在するのを知らなかった。
長谷川は付き合って早々にひかるの才能に気づいた。
彼女が自分の才能を信じつつも、まだ信念が固まっていないことも。
彼女の洗脳は巧妙なことに二人だけの時間に行われた。
『恋人同士』の彼らには互いのためだけの時間がたっぷりあった。
多賀見や三ツ森が二人の関係を静観してるのも長谷川には都合がよかった。
『多賀見の人間は幸せな格差婚』だったから、ひかるが幸せであるならば長谷川の伸び代に期待しようと思っていたのだ。
長谷川は堂々と彼女の才能を盗んだ。
ひかるにラフスケッチを描かせれば、素晴らしい庭園が出来上がった。
彼女が抗議すれば、『あれは俺が寝物語に教えてやったものだ』と反論してやればひかるを封じ込められる。
そして自分の駄作を渡して『人は天才の才能を自分のものだと思い込むからな』とささやけば、ひかるは 卑劣な自分を嫌悪する。
やがて、ひかるは男との認識の相違に耐えられなくなった。
彼女は長谷川にアシスタントであることを強要され、男の応募するコンテストに直前まで付き合わされていた。しかし、同棲を反対する父のおかげで彼女は実家から職場に通うことができた。
長谷川の眼が届かないわずかな時間に作品を作っては、自分もコンクールに応募した。
ひかるは徐々に自信を強め、長谷川に疑問を持つようになった。
思いきって長谷川と競合するコンテストに応募した。
結果はひかるの最優秀賞。
長谷川はひかるのラフスケッチを元にしたのに入賞すらしなかった。
ジャンルの違う、審査員の違うコンテストでも同様の結果を得たとき、ひかるは父やスタッフ達の前で別れることと三ツ森事務所からの独立を申し出た。
父はガッツポーズをし、独立を競って二人に盆栽を仕立てろと言い出した。
泡を食ったのは長谷川である。
自分は小心者だから人の前では無の境地になれないと言い出した。
ひかるはさっさと鋏を持ち、剪定しだした。
おお……というどよめきに長谷川は知る。
自作として提出していた作品が誰のものであるか、皆にバレてしまったことを。
ひかるは『何度でもあなたの会心の作品を持ってこい。何度でも貴方と競い合い、自分が上だと証明してみせる』と静かに言った。
長谷川がひかるを自作の猿真似だと愚弄しはじめたとき、多賀見の伯父より調書が提出された。
次期三ツ森の後継者と僭称し、地元のキャバレーに通い詰めていたこと。
大樹に断りもなく、借金を重ねていたこと。
自分のバックに大樹やひかるがいることを匂わせ、弟弟子はおろか、兄弟子にも嫌がらせをしていたこと。
大樹とひかるは連座で三ツ森事務所のスタッフに謝罪した。
自分の不徳を棚にあげ、強権を強いた大樹とひかる親子に責任を取るべきだと長谷川は喚いた。
大樹は事務所を出る人間に支度金と勤める先を紹介することを申し出た。
スタッフ達は三ツ森親子と働きたい、長谷川とは働きたくないと口々に言った。そうして長谷川武はかなりの支度金を得て、三ツ森事務所から出て行った。
ひかるより一月前に三ツ森大樹事務所のドアを叩いた、限りなく同期にちかい兄弟子にあたる。
彼は色々病んでいた。
そのことに周囲が気づくのは、ひかるが長谷川を振ってからだった。
三ツ森事務所は完全な能力主義。
成長の早い者は先輩のあとについて三つも四つも庭をかけもちするし、仕事ぶりを評価されるといきなり一つの庭を任されたりする。
そのカリキュラムは決まっていない。
大樹自身が天才レベルの職人であったため、彼は木を一つ一つ見定めて剪定するように、自分の下に集まった若者を一人一人職人へと育てていった。
自分を評価してくれない周囲に大きな不満を持ち、人間関係に疲れていた(らしい)長谷川はまず、大樹が自分につききりなのを喜んだ。
そして、ひかるが来る日も庭の掃除をやらされていることに昏い優越感を抱いた。
――叔父様は単に、仕事がわかっているひかるちゃんに好きに庭を回らせ、なにをしでかすかわからない長谷川を側にいさせることで監視していただけ――
はじめはひかるもそう考えていたはずだ、と玲奈は苦く思う。
しかし、自分のほうがひかるより優れている、自分こそが三ツ森事務所の後継に相応しいと信じ込んだ男に。
己の地位を盤石にするため、ひかるに大樹へ自身を推薦してもらおうと考えた長谷川に。
彼女に自分を唯一無二の相手と思わせるにはどうすればいい。
そうだ、彼女を自分に惚れさせればいいと結論づけた人間に。
ひかるが洗脳されるまで時間はかからなかった。
長谷川の方が一度社会人を経験していたこと、有名な大学を出ていたことも、ひかるにとっては不幸であったかもしれない。
父の顧客は中卒でも傑物であり、有名な大学を出ていた者で無能な者はいなかった。
ひかるは、父が有能な人物としか付き合いをしないことや、大学の偏差値は人格を現す数値ではないことを知らなかった。
また、心身健やかで成熟した人間に囲まれていたひかるは、戸籍上成人していても中身が未成熟でいびつな人間が存在するのを知らなかった。
長谷川は付き合って早々にひかるの才能に気づいた。
彼女が自分の才能を信じつつも、まだ信念が固まっていないことも。
彼女の洗脳は巧妙なことに二人だけの時間に行われた。
『恋人同士』の彼らには互いのためだけの時間がたっぷりあった。
多賀見や三ツ森が二人の関係を静観してるのも長谷川には都合がよかった。
『多賀見の人間は幸せな格差婚』だったから、ひかるが幸せであるならば長谷川の伸び代に期待しようと思っていたのだ。
長谷川は堂々と彼女の才能を盗んだ。
ひかるにラフスケッチを描かせれば、素晴らしい庭園が出来上がった。
彼女が抗議すれば、『あれは俺が寝物語に教えてやったものだ』と反論してやればひかるを封じ込められる。
そして自分の駄作を渡して『人は天才の才能を自分のものだと思い込むからな』とささやけば、ひかるは 卑劣な自分を嫌悪する。
やがて、ひかるは男との認識の相違に耐えられなくなった。
彼女は長谷川にアシスタントであることを強要され、男の応募するコンテストに直前まで付き合わされていた。しかし、同棲を反対する父のおかげで彼女は実家から職場に通うことができた。
長谷川の眼が届かないわずかな時間に作品を作っては、自分もコンクールに応募した。
ひかるは徐々に自信を強め、長谷川に疑問を持つようになった。
思いきって長谷川と競合するコンテストに応募した。
結果はひかるの最優秀賞。
長谷川はひかるのラフスケッチを元にしたのに入賞すらしなかった。
ジャンルの違う、審査員の違うコンテストでも同様の結果を得たとき、ひかるは父やスタッフ達の前で別れることと三ツ森事務所からの独立を申し出た。
父はガッツポーズをし、独立を競って二人に盆栽を仕立てろと言い出した。
泡を食ったのは長谷川である。
自分は小心者だから人の前では無の境地になれないと言い出した。
ひかるはさっさと鋏を持ち、剪定しだした。
おお……というどよめきに長谷川は知る。
自作として提出していた作品が誰のものであるか、皆にバレてしまったことを。
ひかるは『何度でもあなたの会心の作品を持ってこい。何度でも貴方と競い合い、自分が上だと証明してみせる』と静かに言った。
長谷川がひかるを自作の猿真似だと愚弄しはじめたとき、多賀見の伯父より調書が提出された。
次期三ツ森の後継者と僭称し、地元のキャバレーに通い詰めていたこと。
大樹に断りもなく、借金を重ねていたこと。
自分のバックに大樹やひかるがいることを匂わせ、弟弟子はおろか、兄弟子にも嫌がらせをしていたこと。
大樹とひかるは連座で三ツ森事務所のスタッフに謝罪した。
自分の不徳を棚にあげ、強権を強いた大樹とひかる親子に責任を取るべきだと長谷川は喚いた。
大樹は事務所を出る人間に支度金と勤める先を紹介することを申し出た。
スタッフ達は三ツ森親子と働きたい、長谷川とは働きたくないと口々に言った。そうして長谷川武はかなりの支度金を得て、三ツ森事務所から出て行った。