氷の貴公子は愛しい彼女を甘く囲い込む
「はい。これでお礼になるかもわかりませんが、せめてもの気持ちです。今日もですけど、本当にいろいろありがとうございます」
 
 最近綾は間宮に一方的に負担を掛けてしまっている引け目から、お昼休みを共にするだけの彼との利害関係の無い気安い関係が崩れてしまったと寂しく感じていたのだ。

 でも、今日一日一緒にすごし、同じものを同じ目線見て、笑ったり、感想を言いあったりする時間がとても楽しかった。心が素直に彼に近づいた気がする。

「これからもよろしくお願いします……海斗さん」

 だから自然と彼の名前が出て来た。
 
「……」
 
 きっと彼は『やっと名前で呼べたね』と笑ってくれるだろうと予想していたのに、黙っている。
 
「……海斗さん?」
 
 不安になって彼の顔を伺おうとする。しかし、彼が逆に身を乗り出すようにして、大きな片方の掌を綾の肩に乗せて来た。
 やけに熱っぽい眼差しが綾を捕らえ、薄暗い車内の雰囲気が一変する。

「……綾」
 
 海斗は呟くように言うと、そのままゆっくりと顔を傾け綾の頬に近づける。
 整った顔が間近に迫ってくる。

(――こ、これは……ほっぺにチューされる流れ?)

 焦りながらも、甘い雰囲気にのまれ動くことが出来ない。

 しかし、彼の唇が触れたのは綾の予想とは違っていた。
 
「……んっ?」

 その瞬間、くぐもった声が出た。
  
 彼の唇は綾の唇と重なっていた。
 
 思考が停止した綾はひんやりとして、少し硬い唇の感触だけを受け止める。 
 そんな彼女に構わず、海斗は2、3度彼女の唇をゆっくり啄むようにすると最後にチュッという音を残し、静かに顔を離した。
 
 「……こちらこそ、よろしく」
 
 親指の腹で綾の唇の感覚を確かめるかのようになぞる。
 
「は……い」
 
 その後、綾はいつものように助手席のドアを開けて貰い、車から降りると、いつものように階段を上がり鍵を開け自分の部屋に戻った。
 海斗の車のエンジン音が遠ざかっていく。
 いつものように彼は綾が部屋に入ったのを確かめてから車を出したようだ。
 
「……え?」
 
 彼女が我に返ったのは完全にその音が聞こえなくなってからだった。
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