氷の貴公子は愛しい彼女を甘く囲い込む
 「おかえりー、綾ちゃん。さっき、綾ちゃんを訪ねて男性が来られたわよ。赤井さんって方」

 上機嫌で店に戻った綾だったが、るりの言葉に眉を顰める。

「……赤井?」

「来たことを綾ちゃんに伝えて欲しいって言ってたわ……お客様って感じじゃなかったけど」

「……」

――赤井、と言えば思い浮かぶのは一人しかいない。
 綾の表情が曇ったのを見て、るりも訝し気な顔つきになる。

「え、まさか、彼が?」

「……そうです」
 

 
 仕事を終え、綾は地下鉄に乗り込み、ラッシュで込み合う車内で吊革に捉まる。
 
 窓に映る自分の少し疲れた顔をぼんやりと見ながら綾は久しぶりに赤井の事を思い出していた。

 綾が会社を辞める原因となった男。正直、忘れたい過去だ。
 その赤井が今日、綾の職場を訪れたとは。
 
(なんで今更――?ていうか会いたくないんですけど)

 なぜ彼は綾に接触しようとしたのだろう。疑問と嫌悪感しか出てこない。
  
 地下鉄を一つ乗換え自宅の最寄り駅に着く。駅から歩いてで15分弱の所に綾のアパートがある。元は実家暮らしだった綾だが、転職を切っ掛けに現在は一人暮らしをしている。
 
 築5年の比較的浅築アパートの白いドアの鍵を開ける。
 
 そういえば綾の通うヒルズビレッジのレジデンス棟も築5年らしいが、昼休みにいつも眺めている国内屈指の超高級レジテンスの一部屋は自分の暮らすこのIKがいくつ入るのだろうか。

(……世界が違い過ぎて想像すらできない)

 苦笑しながら部屋着に着替える。ファストファッションの店で買った着古したスウェットワンピースだ。
 普段セレブなお客様と接することは多いが、自分はまごう事無き庶民である。
 父母と兄妹3人の5人家族。共働きの両親の元、裕福では無いが生活に困る事も無く心身共に健やかに育ててもらったと思っている。
  
 狭い部屋の隅に置かれた小さいガラスのチェストには江戸切子のペアのグラスが並んでいる。江戸切子と言えばこれ、という定番の瑠璃色と紅色のもの。美しいだけでなく温かみを感じる作品だ。
 これは祖父が祖母と結婚した時に奮発して記念に買ったものだ。
 子供の頃から綾はこの硝子のキラキラが大好きで、祖父母の家に遊びに行くとよくせがんで見せて貰った。
 普段は箱に入れて大事にしまってあるそれをを出してくる時、祖父母は昔の事を思い出すのか、少し照れたような、それでも嬉しそうな顔をしていたのをよく覚えている。幸せな思い出だ。
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