厳島に散ゆ~あんなに愛していたのに~
 四月、御屋形様がまたまた相良を九州より呼び寄せたとの情報が入った。


 私はもう、嫉妬にこの胸を焼き焦がすことなどない代わりに。


 その事実を知ったことにより、最終決断を急かされた。


 ……翌五月、私は九州は豊後(ぶんご)の大名、大友義鎮(おおとも よししげ;のちの大友宗麟)に密書を送った。


 大友義鎮の異母弟・大友晴英(おおとも はるひで)さま。


 御屋形様の姉上を母に持つこの貴公子は、かつて一時期ここ大内家の養子に入っていた。


 尼子との戦で嫡男・晴持(はるもち)さまを失われた御屋形様は、甥にあたる晴英さまを新たに養子とされ、大内家次期当主として迎えた。


 だが。


 おさいの方が嫡男・義尊(よしたか)さまを出産。


 父親が誰だか分からないにもかかわらず、御屋形様はこの男子を認知され、嫡男とすることを発表された。


 間もなく晴英さまは養子縁組を一方的に解消され、傷心のまま大友家に戻られた。


 養子先から突き返されたことにより、実家である大友家ではすでに居場所がなくなっており、肩身の狭い思いをなさっていたと風の便りで耳にした。
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