厳島に散ゆ~あんなに愛していたのに~
天下を二分した応仁の乱(1466~67)から、もうすでに70年が過ぎようというのに。
未だ京の都は荒れ果てていて、朝廷はすっかり権威を失って久しい。
帝(天皇)が即位の儀式を挙げる資金にすら、事欠く有様で。
地方の有力大名の寄付に頼らざるを得ない。
その見返りとして、天皇は大名に地位や権威を与える。
それにより御屋形様は、北九州の大宰府の長官の地位を得た。
この地位があれば……。
北九州で群雄割拠する諸大名を駆逐して、北九州一帯の覇権を手にすることができる。
なぜ大内家は、北九州を支配することに執着したか?
北九州沿岸を制圧して、大陸との貿易の権利をを完全に掌握し、交易に伴う収入を全て手に入れたかったから。
すでに周防からも明との貿易が行なわれていたが(勘合貿易;かんごうぼうえき)、北九州の港も支配下に置けば、さらなる利益を得られる。
加えて関門海峡(かんもんかいきょう)の通行権も独占し、瀬戸内海交易にも優位な立場に立てる。
そのような理由で北九州の制圧は、先祖の代から大内家念願の夢であった。
未だ京の都は荒れ果てていて、朝廷はすっかり権威を失って久しい。
帝(天皇)が即位の儀式を挙げる資金にすら、事欠く有様で。
地方の有力大名の寄付に頼らざるを得ない。
その見返りとして、天皇は大名に地位や権威を与える。
それにより御屋形様は、北九州の大宰府の長官の地位を得た。
この地位があれば……。
北九州で群雄割拠する諸大名を駆逐して、北九州一帯の覇権を手にすることができる。
なぜ大内家は、北九州を支配することに執着したか?
北九州沿岸を制圧して、大陸との貿易の権利をを完全に掌握し、交易に伴う収入を全て手に入れたかったから。
すでに周防からも明との貿易が行なわれていたが(勘合貿易;かんごうぼうえき)、北九州の港も支配下に置けば、さらなる利益を得られる。
加えて関門海峡(かんもんかいきょう)の通行権も独占し、瀬戸内海交易にも優位な立場に立てる。
そのような理由で北九州の制圧は、先祖の代から大内家念願の夢であった。