惚れたら最後。
再び眠りにつき数時間後、明け方日の出と共に目が覚めた。

カーテンの隙間からこぼれる朝日が眩しい。

目を開けて身体を起こすと、隣に寝ていたはずの琥珀がいない。

いつかのデジャヴに血の気が引いた。

あわてて部屋を飛び出すと、出汁のいい香りが鼻腔(びこう)に広がる。



「おはよう、どうしたのそんなにあわてて」



声のする方に首を傾けると、髪をひとつに結った琥珀がキッチンに立っていた。

俺は安堵とともに大きくため息をついた。

無言で琥珀に近づき、どうやら朝食の準備をしている彼女の後ろから抱きつくと耳元でぽつりとこぼした。



「また逃げられたのかと思って焦った」

「まさか、事務所には人がいるのに?」

「琥珀なら逃げかねない」

「もうそんなことしないよ。逃げても無駄だって観念したから」



「そっか」と呟き、琥珀の肩越しにコンロの上に置かれた鍋の中身をのぞく。

出汁が香る片手鍋の中で、豆腐が浮いたり沈んだりを繰り返していた。



「飯作ってくれるのありがたいけど、どうしたんだ急に」

「憂雅さんから、ここの所ちゃんとしたご飯食べてないみたいだから食べさせてほしいって言われて、いろいろ用意してもらった」

「へえ……」



ふと、キッチンのすぐ近くのダイニングテーブルに置かれた、茶碗に盛られた白米を眺めた。

そして疑問に思った。



「ここ炊飯器置いてないけど、どうやって炊いたんだ?」

「ガスで炊いたよ。ちょっと吹きこぼれたから後で掃除するね」

「……すげえな」



ぼそりと出た感心の声に琥珀は笑った。



「あなたのお母さんほどじゃないけどね。まあ、これでも5歳児の母親代わりだから。料理は人並みにはできるかな」

「母さんは本家の厨房で働いてたから分かるけど、このご時世にお前の歳でここまでちゃんとしてるのすげえよ。
流星と星奈は幸せ者だな」

「はは、そう言ってもらったら報われるよ、ありがとう」



健気な琥珀が愛しくて絆は再びぎゅっと後ろから抱きしめた。

すると、なぜか琥珀が硬直した。



「どうした?」

「あの、腰に……何か、当たってるんだけど……」

「ああ、心配するな。生理現象だからやましい気持ちはねえよ。
……可愛いな琥珀、いつもは澄ました顔してるくせに俺の前では顔真っ赤にして」


初々しい反応をする琥珀が可愛くて、絆は耳を甘噛みした。

琥珀は身体をビクッと震わせて絆から距離をとると、ダイニングテーブルを指さして大きな声を発した。



「集中できないからあっち行ってて!」

「はいはい、邪魔してごめんな」



大人しく席につくき支度を進める琥珀を眺め、その様子を微笑ましく見守っていた。
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