夜の薄暗い隅っこで
「町さんは、なにを大切にしたいですか」
「大切にしたいもののはなし?」
「ええ、心が荒んで薄暗くなったとき、人はたいせつにしたいものを一度この目に映すべきです」
君くんは片手の二本の指で目を示してから、私にその指を向けます。細くて白くて長い指。そして黒髪の下の双眸に、泣きぼくろがあるのを初めて知り世界は時に、広がります。
「あたらしい発見があったとき」
「素晴らしいですね」
「道端の花の名前を知ったとき、たとえば普段見ているものに改めて気がついたとき、それを大切にしたいと思います。見つけた心はとても大切です。その感覚を誰かと共有したら、私は泣いてしまうでしょう」
「ありますか? そういったことは」
「今はまだないですね、きっと出会えたら結婚する」
「せめて咀嚼してください」
軽はずみじゃないんですよとドヤされて、べえ、と舌を出す。黒い影が徘徊する夜の街、少しずつ家の街明かりが消えたりついたりする中で、夜の紺色を白い煙がのぼっていきます。
明日、あの家の前には霊柩車が停まるでしょう。
そして人知れず散った魂にたくさんが涙をするけれど、煙のなかの魂は少しだけ笑っています。夜を駆けることを楽しんでいるようですね。
「木蓮ですね、と言ったんです」
「木蓮」
「私が見つけた道端の花びらを、大きな花びらの名前を調べていたとき、おじいさんは木蓮、と言っていた。なんだか大きいなぁ、ってそれっぽっちの感想を振り向いて笑ったら、おじいさんはとても嬉しそうでした」
「町さんに見つけてもらえて幸せだったんですね」
見つけてもらえたのは私の方なのに、空に登る煙とおじいさんの微笑みは、とても似ていました。