夜の薄暗い隅っこで
「サバンナのトムソンガゼルは、宿敵のチーターに追われて首根っこを掴まれるその瞬間まで必死に逃げ惑います。草食動物は往々にして食物連鎖のピラミッドの中にいるのでわかりやすい縮図ですが、カマキリに捕らえられたアゲハ蝶は美味しい葉っぱを食べているときに死を連想しませんし、害虫が何百年と進化を遂げてここまで生き延びてきたのは、破壊と再生を繰り返してきたからです。
何度となく何かと言い訳をつけて人は死にたがりますね。本質は変わりません。何故なら、病気に蝕まれてもなお我々の身体に巣食う白血球が病原体を追い返そうとし熱を出すように、体はいつだって生にしがみついているんです」
「君くん、もっと抽象的な話をしよう」
「町さん、いいですか、よく聞いてください。目に見えるすべてで判断するのではなく、あなたのその目や耳や鼻や何よりもここにはない感覚で、見るべきものを見るんです。
今あなたが見るべきは僕ですか? あなたはあなたの答えをきっとはじめから持っているはずですね」
君くん、君くん。
なんでそんなことを言うんだろう。
6歳の頃、隣の家の君貴くんとよるに内緒で屋根に登って、怯える君くんを私が無理にこっちだよって呼んだので、足が滑って、それからそれから、それからのことは、もう考えないことにした。
そこから命を追うことをやめて、その頃からこの世界から私がしばしば剥がれるとき、君くんは必ずちょっぴり顔を出す。夜に紛れた影たちの光の双眸に話しかけて、それを追うと新世界に行けるらしい。
それを食い止めるためにいつも君くんは屋根の上で見張っていて、私がダイブしようとする自分側に向かうのを、だめって追い返すのです。
君くんはわかっていますか?
私は私がだいきらいだということ。そのだいきらいを、どうにか克服するには、そうです、私はトムソンガゼルにならねばならないと言うのですか。
「そうです」
「子ウサギがいいよ」
「だめです」