【番外編】ロマンスフルネス
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「どしたの?元気なくない?」
矢野透子(やのとうこ)は、夏雪の表情に陰りがあるのに気がついた。夏雪はだいたい仏頂面だからわかりにくいけど、今日は何か変。
「食事も殆んど食べなかったし、具合悪いんじゃない?」
「そういうわけではないんですが、近々、樫月グループの恒例行事が予定されていまして。
それに向けて、しばらくの間は肉とか酒とか禁じられてるんですよ。今は心身を浄める期間にあたるので」
「どんな行事よそれ!?」
行事に向けて心身を浄めるだなんて謎過ぎる。神主さんとか巫女さんなら、そういうことがあるかもしれないけど…。
聞くとますます夏雪の表情が曇った。
「無意味な宴席です。台風でも来て取り止めになればいいんですが」
「あのね…運動会が嫌な子供じゃないんだから」
夏雪はむーっとした膨れっ面をしてる。本当に嫌そうだ。
でも、夏雪には悪いけれど、彼がそうやって素直に嫌なものを嫌だと言ってくれるのは内心嬉しかったりする。少し前なら「何でもないです」と強がられていた気がするから。
「まあ、夏雪の年でお肉食べるなとか言われたらけっこう辛いよね」
「いえ、心身の浄めについては慣れてます。一点だけ辛いこともありますが…それは一旦置いておくとして。
行事の中で舞を奉納する役割が苦手なんです。」
夏雪が気だるげに呟く。
「舞を奉納…って、踊るの!?夏雪が?」
「はい」
「!??」
いやいや、似合わないにも程がある。いくら夏雪が常識を越えたイケメンとはいえ、何をやらせてもすっきりハマる訳じゃない。
むしろ夏雪の場合は、冷たく見えるほど澄んだ目鼻立ちのおかげで、似合わない行動が数限りなくある気がする。気品と傲岸不遜を併せ持つ、取り扱い注意な美貌なのである。
「能の演目が元になっていて、その一環として横笛を吹くのですが…」
「あ、ああ!踊りってそういう意味の!」
頭の中のイメージを日本の伝統芸能の方に修正した。そうか、ダンスは似合わないけど、日本の舞踊なら話は別。夏雪の和服姿は凛とした佇まいで艶っぽくて、とにかく素敵だったのを覚えてる。
というか、夏雪が演じるのなら私だって
「見てみたいな…」
思わず呟くと、夏雪がきっぱりと首を振る。
「いえ、わざわざ見る価値ないですよ。俺に芸術的才能はないですから。」
初めて聞く夏雪の弱点らしい弱点。…まあ、確かに理論派の夏雪と芸術方面の相性が良いとは思えないけど。
「でもなんで夏雪が踊る役?」
「真嶋家の直系長子が舞を奉納する決まりなんです。かつて真嶋家が巫(かんなぎ)だったので、その名残ですね」
「かんなぎ……」
それって巫女さんの男性バージョンのようなものだろうか。聞けば聞くほど夏雪の住む世界はとんでもない。想像つかないことばかりだけど、私にもひとつだけわかることがある。
「たくさんの人に見られるから、元気なかったのね」
魅力的な顔立ちを長所ではなくコンプレックスに思っているのが夏雪なのだ。注目を集めるイベントは、ストレスにしかならないだろう。
彼の髪に手を伸ばしてをそっと撫でる。夏雪はしばらく大人しく撫でられていたけど、急に手を引っ張った。