【番外編】ロマンスフルネス

「昔は周りにめっちゃ壁作ってたし、なーーんも興味ないって目をしててね。
だから透子さんには感謝してるんだ。」


「いえ、私は何も」


ご当主は「いつか分かるよ」とおっとりした調子で言った。当たり前だけど、私にはまだ夏雪についてわからない事がたくさんあるようだ。


「…そろそろ始まるね。」


「あの、夏雪を助けてと仰っていたのは…」


「あぁ、それはもうちょっと後で。今は僕らも舞台を堪能しよう。ナツの演舞は見事だよ」


和太鼓と笛の荘厳な音が鳴り響き、宴席の方から歓声広がる。檜舞台に照明が灯ると、長い銀髪の鬼が音もなく現れていた。

般若のような面で顔は見えないけど、均整の取れた全身のシルエットでなんとなくわかる。


「もしかして、あれが夏雪…ですか?」


「そう、ナツの一人舞台だからね。今は荒ぶる鬼の役」


鬼は刀を振るって篝火を揺らす。躍動感のある力強い動きは普段と全然違っていて、まるで専門の能楽師が演じてるように見える。


「これはね、鬼に堕ちた人間が月の女神に恋をする話が元になってるんだ。恋をして人の心を取り戻すっていう演目なんだよ。」


曲調が変わって、舞台のきざはしを降りた鬼が空を見上げて立ち止まる。冷たく澄んだ空には満月が浮かんでいた。


鬼はもう刀を持っていない。鬼から人に生まれ変わるように般若の能面が外れ、月光に照らされた夏雪の横顔が露になる。

目の下にほんの少し朱を入れたメイクをしていて、精霊のような透明感と男性的な艶っぽさが不思議と同居していた。


夏雪は舞台上の緋色の衣に顔をよせて、愛おしげにその絹を手に取る。それをかき抱くような素振りや絹を撫でる動きは色香に溢れ、舞台を見ているだけなのに不思議と顔が熱くなってくる。


「あの着物は月の女神の代わり。能が元になってるから表現がミニマムなんだけど、ナツが演じると伝わるよね」


「そうですね…。人前で演じるなんて普段からは全然想像つかないですけど…」


せつなげな表情も音を感じさせない滑らかな動きも妖しげで美しく、自然と視線が吸い寄せられていく。


「最後は女神が月に帰ってしまうんだけど、でも鬼はすっかり人の心を取り戻して、彼女を笛の音で見送るんだ。」


その説明通り、舞台上の夏雪が横笛を手にする。けれど何故かご当主は怯えたように耳をふさいでいた。

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