【番外編】ロマンスフルネス
「どうしたんですか?」
「ナツは演舞は申し分ないんだけど龍笛…あの横笛ね、あれだけはホント酷いんだ。音に心の闇が駄々漏れするんだよ」
さっきまでのご当主とはうって変わって、怯える子供のように縮こまってガタガタと震えてる。
夏雪は一体どれだけ下手っぴな演奏を繰り広げるんだろう。それにしても、過剰な怖がり方だけど。
「大丈夫ですか?」
「うん…無理」
ご当主が耳を塞ぐ中、遠くから笛の音が聞こえてくる。『ぴゃーーっ』みたいな酷い音なのかと身構えたけど、実際は夜空に吸い込まれるような儚げな音色だった。
空を見上げて笛を奏でる鬼からは、女神と離ればなれになる切なさが伝わってくる。
でもご当主はピアニストだから、繊細な感性だと別の聞こえ方になるのかもしれないけれど…。
演奏が終わり、篝火が消えると共に舞台が一瞬にして闇に溶ける。夏雪の舞台は幻想的で美しく、終わってしまうと全てが幻だったような感じがした。能の観賞は拍手をしないのがマナーだそうで、辺りには静かなざわめきだけが広がっている。
樫月当主が恐る恐る耳から手を離した。
「…嘘だろ?…吐き気がしない」
「ご当主…」
信じられないと目を見開いたご当主を、ついじとーっと見てしまった。いくらなんでも「吐き気」は酷いんじゃないの。
「『ご当主』って言われるとじーさんみたい。澪音の方で呼んで。」
「それで良いならそう呼ばせて頂きますけどー…」
「あ、怒ってる?
や、あのね、技術的な上手い下手じゃなくて。いつもは『これ聞いてる奴ら全員地獄に落ちろ』みたいな音だったから。
まあ、彼の心境を思えばそれも仕方ないんだけど」
「夏雪の心境…ですか?」
「ほら、あそこ」と澪音さんが指差した先には、宴席のお客さんに挨拶をしている夏雪が見えた。和服に合わせた折り目正しい所作には惚れ惚れするけれど、感情の読めないお行儀のいい笑顔を浮かべている。時折困ったように微笑んだり、お辞儀をしたり。
遠くからでも、作られた表情だってすぐわかる。
「今何を話してるかっていうと、とにかく容姿をべた褒めされてるわけ。
真嶋家の美貌は人にあって人にあらず。人智を越えた美しさの体現者だってね。」