雨は君に降り注ぐ
私が泣き止むまで、多分5分くらいかかったと思う。
その間、一ノ瀬先輩はずっと、私のことを抱きしめていてくれた。
まるで、子供をあやすみたいに、優しく。
先輩の体が私から離れていくとき、すごく寂しかった。
もっと泣いておけば、とさえ思った。
「もう、大丈夫かな?」
先輩は、柔らかく微笑んで、訊ねる。
「はい、すみませんでした…。」
先輩は、もう1度私の頭をなでると、にっこり笑った。
「じゃあ、僕もう帰るね。またどこかで会えるといいね。」
「あ、あのっ、先輩っ。」
『いつか』とか、『また』とか、そんな不確かなこと、嫌だ。
「連絡先、交換しませんか?」
勇気を振り絞って、そう言った。
先輩は、キョトンして、首をかしげる。
「それは…僕と?」
「はい、……ダメですか?」
一ノ瀬先輩は、悲しそうに目を細めた。
「ダメじゃないけど、僕、携帯持ってないんだ。」
「先輩の家の、固定電話の番号でもいいです。」
「僕の家、電話線もひいてないんだ。」
そんなこと、あるだろうか。
それでは、一ノ瀬先輩との連絡手段は、1つもないではないか。
あるとすれば、一ノ瀬先輩の自宅を直接訪ねるか、大学で偶然ばったり出会うか、それぐらい…。
私が黙ってしまうと、先輩は、慌てたような声で付け加えた。
「ごめん。僕、1人暮らしで、経済的に結構大変でさ。携帯買ったら、君とまっ先に連絡先交換するよ。」
私はまた、一ノ瀬先輩を困らせているみたいだ。
「いえ、そんな、無理にはいいんですよ。どうしても交換したかったわけじゃないし…。そうですね、また、どこかで会えるといいです、ね。」
『どうしても交換したかったわけじゃない。』
そう言った時、一ノ瀬先輩の表情が少しだけ、ほんの少しだけ曇ったように見えたのは、気のせいだったのだろうか。