雨は君に降り注ぐ
その瞬間、私の足に力が入った。
まだ走れる。
私は弾かれたように、地面を蹴った。
が、
「ちょっと待って。」
その人のほうが、一瞬早かった。
私はその人の大きな手に腕をつかまれ、引き寄せられた。
その人は、私の体を腕の中におさめると、私の耳元でささやいた。
「大丈夫。僕はストーカーじゃないよ。」
「え?」
なんでストーカーのことを知ってるの?
ていうか、これ、さりげなくバックハグじゃない?
雨で冷やされた私の体が、その人の体温であたためられていく。
「なんで、そのことを…?」
「あそこにいる黒いフードの人。」
その人がアゴで指した方を見ると、確かに、黒いフードをかぶった人が、私から15メートルくらい離れたところに立っていた。
夜だし、黒いフードだし、顔はよく見えない。
男か女かもわからない。
黒いフードの人は、手にスマホを持っていた。
あれだ。
あれで私は撮られたんだ。
「あいつが、さっきからずっと、君のことを追い回してる。」
きっとこの人は、私のことを助けようとしてくれているんだ。
でもこれは、ちょっと心臓にキツい。
だって私、男の人にバックハグされるの、初めてだ。
きっとこの人は、ハグとか、そんなことは意識してないんだろうけど。
私の背中が、この人の体温を感じている。
耳元で、この人の息づかいが聞こえる。
ああ、待って。
本当に私の心臓が持たない。
私の顔が熱を持っていることが、よくわかる。
「あいつ、君の知り合い?」
低いけど、優しい声が、私に訊ねる。
私は夢中でかぶりを振った。
「ならとりあえず、あいつからは逃げた方がいい。」
「でも、あの人、ずっとついてくるんです。」
恐怖から、声がかすれる。
「いくら走って逃げても、追いかけてくるんです。」
彼は、しばらく黙って私を見つめた。
私も、彼の顔を見つめた。
雨に濡れた彼の前髪から、大量の雫が滴っている。
あれ、この顔、どこかで……。
「怖かったろ。もう大丈夫だよ。こっち。」
まるで、ペットでもあやすような優しい声で、彼はささやいた。