エチュード〜さよなら、青い鳥〜
そのころ、ドイツでは。
「ナイン」
初音は鍵盤から手を離し、もう一度、弾き直す。
「ナイン」
最初の和音だけで、マーシャは無表情のまま、再び首を横に振る。
ドイツ語のナインというのは、“いいえ”という否定だ。最初の和音だけで、ダメ出しされて先に進めない。
ついにはマーシャはため息をつきながら、部屋を出て行ってしまった。
マーシャに与えられた課題は、ドヴォルザーク。初音の苦手とする哀愁漂う、どこか懐かしさを感じる曲だ。
初音の脳裏に、以前聴いたマーシャの演奏が何度もリフレインする。
でもあれは、マーシャの音だ。
初音は初音だけの音楽にしなくちゃならない。つい、マーシャの真似をしてしまいそうになる。
ーーどうしたらいい。
どこかにあるはずだ、私だけの音が。
久しぶりに行き詰まった。
ふと、新鮮な空気が吸いたくなって窓を開けた。すぐ近くの木に止まっていた小鳥が、驚いたように飛び立って行く。
小鳥は、どこへ向かうのだろう。
教えて欲しい。誰もを幸せに出来る音はどこにあるのかを。どうすれば、自分らしさが見つけられるのかを。
小鳥が飛んでいった澄んだ青い空は、日本と変わらない。
不意に郷愁に駆られた。
涼ならきっといいアドバイスをくれる。初音だけの音を見つける手がかりを。
初音は時計を見た。15時半。日本は23時半。深夜だ。もう寝ているだろうか。
久しぶりに、初音はスマホの涼の電話番号に触れた。