エチュード〜さよなら、青い鳥〜
「ずいぶん人間くさい演奏だね、ハツネ」


最後まで弾き切ると、いつのまにかピアノ室に戻ってきていたマーシャが声をかけた。


「私、日本に置いてきたものは、そのまま変わらないって思ってた。私がドイツで成長するだけの時間が、向こうでも流れているのに。
マーシャの言う通りだった。距離は気持ちを離すものだって」


ピアノを見つめたまま、初音はうなだれていた。


「特に、人の心は変わるものなのさ、ハツネ。まぁ、人生ってきれいごとばかりじゃないからね。それが分かっただけでも、成長したじゃないか」



深夜に元婚約者と家で二人きりという状況を作ったということは、あの真面目が取り柄の涼に隙があったということ。
相手は元婚約者だ。そう簡単に忘れるはずがない。初音以上に互いを知り尽くしているだろう。体だって、馴染んでいるはず。


声を聞かなくても、メッセージのやりとりがなくても平気だったのは、彼を信じていたから。


初音は、ネックレスに触れる。涼とお揃いのマリッジリングは、変わらずそこにあった。


出会ってまだ一年も経っていない。急速に深めた絆は脆いのかもしれない。募る不安から初音を助けてくれるのは、今はこのリングだけ。触れていれば、涼を思い出せた。
幸せな思い出ばかりの二人の時間を。



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