きみが空を泳ぐいつかのその日まで
「で、用事って?」
「それが、借りてた服をどこかに置いてきたかも知れなくて」

駅まで行ったらすぐ別れようと思っていたのに、早急に核心をつかれて取り繕えずにボロが出た。

さっきまでの賑やかな久住家のぬくもりを忘れてしまいそうなほど、もう外は暗い。

普段と何も変わらないただの星のない夜なのに、暗闇のなかからおまえの居場所はこっちだろと手招きする声が聞こえたような気がした。

「服って、みどりさんて人の?」

彼女の名前を久住君がちゃんと記憶に留めておいてくれたことにバカみたいに感動してしまい、どうにかうん、と頷いた。

「どんなやつ?」
「グリーンの、カーディガン」
「じゃ、探しながら行こ。駅周りもチェックして、それでもなかったら交番に届けるか」
「……そこまで考えてなかった」

すぐ不安になって、最悪のことしか考えられなくなる自分と彼とでは基本的に思考回路が違う。

「変?」
「ううん、そんなことない」
「大丈夫って励ますだけなんて無責任だし、頑張れって言われるのもイヤじゃない? 突き放されてるみたいで」

彼の目の前にはいつも、どんな景色が広がっているんだろう。

「そうかもしれないけど、私にはそうじゃなくていいよ」

自分はそうやって面倒な日常や人間関係をやり過ごしてきた側の人だから。

今日はありがとう。じゃあ明日学校でね、って差し障りのない挨拶をして駅で別れる。それでいいのに。

「でもシンプルに考えてさ、探し物するなら目が4つあったほうがいいじゃん?」
「秘宝を探そうとしてるみたいな言い方」
「はぁ? ガキ扱いすんな」

ムキになるのが、なんだか可愛い。

「久住君の家は賑やかでいいね。毎日楽しそうで」

あの家で育つとこんなふうに優しくて芯のある人が完成するんだね。

暖色のあかりが灯る部屋とあかちゃんという尊い命。家庭的な晩ご飯の匂いと笑い声の詰まった場所。

さっきまでのひとつひとつを思い返すと、言葉には変換できない多幸感に包まれて、目を閉じると光の残像がチカチカと瞬いた。

「まぁいろいろあっての今なんだけどね」
「いろいろ?」

口の中に苦いものか甘いものか、どちらが入っているのか本人すらわかっていないような意味深な笑顔に聞き返してみた。

「そのうちわかるよ。それとも今知りたい? 」
「えと、それは……どういう意味?」
「俺のこと、教えてあげてもいいかなって。特別にね」

そんなことを言われたら、教えてって言ってしまいそうになる。私のこともほんの少しだけ知って欲しい……そう伝えたくなるのを押さえ込むのが難しい。

「……無視すんなよ」
「し、してないよ」

胸が高鳴るのをごまかすことで精一杯なだけだよ。

「俺わかるよ。ひとりの家がいつまでも冷たいあの感じ。飛び出したいのに行き場がない苛立ちみたいなの。なのにそこで何かを期待してたい矛盾とか」

ずっとどこにも、誰にも預けられなかった重い荷物に、そっと手を差しのべてくれるような……それはまるでそんな言葉だった。

「意外……だね」
「超失礼じゃん?」
「ごめん、でもそういう意味じゃないの」

広い庭で誰かに見守られながら、日の光をいっぱいに浴びて自由に育った男の子だと思っていたから。
それなのに彼もあの言い様のない気持ちを知っているなんて。

もう子供じゃないんだからお父さんなんかいなくても生きていけるといつも本気で思う。だけどそれこそが幼稚な考えだとちゃんとわかってる。

孤独と友達なんだと思えばいろんなことに諦めがつくのに、もしかしたらと未来に期待するまっとうで健全な自分もいる。

学校に行きたくない。
でも家にはいたくない。
遠くに行きたいのに、ベッドから出られない。

家庭環境なんか気にすることないよ。
Wi-Hi環境の方が大事。
ひとりで平気。

それなのに私がこの時を生きていることを誰かに知っていて欲しいなと思ったら、涙がこぼれそうになる。

何もかもが矛盾していて支離滅裂で、だけどそのぐちゃぐちゃなのがまぎれもない自分。
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