きみが空を泳ぐいつかのその日まで
「じゃあな」
「……うん」
「会えてよかったよ」

本心だった。
エリに出会えてよかったと思う。

「あたしも。ありがとう」

スマホを下ろしてエリに手を振った。

(バイバイ、りー君)

赤い唇がそう動いて、どんどんあいつが小さくなって見えなくなって、電車は夜の向こうに姿を消した。
視線の先にはホームからの見慣れた殺風景があるだけ。

深く深呼吸して、今度はあらかじめ調達しておいた番号に電話した。

「……なぁ、おまえ鼻の骨折ったって?」

気だるい低い声がコールに応答したからそう言った。あいつの声なんて聞きたくないし、胸くそ悪くなるだけなのに。

「……ごめん」

唐突にそう言ったらやつは絶句した。

「悪かったよ。だからもう俺に関わんな。おまえに会っても逃げるし俺」

あーあ。
やっぱキャラ変って柄じゃない。

「はぁ? バカになんてしてねーわ。頭下げて心から謝罪してんだろーが!」

してないし、見えるわけがない。だけどちゃんと反省はしていた。

「とにかく、俺もう痛いのやなんだよ」

主に心がね。

「だから俺に、俺らにもう関わんな。このまえのツレ根性あったろ? そういう筋の女なんだ」

もうなんとでも言ってしまえ。

「あいつになんかあったら、俺もおまえもこの街で普通に生きてられなくなるんだって……それだけ忠告しとこうと思ってさ。つまりあれは」

ここで強制的に通話終了をタップした。
ドラマみたいに余韻を含ませる演出だ。いろいろ想像してくれたらいいんだけど、終始絶句してたからそこそこ成功か。あいつが頭悪くてよかった。

お互い充分痛い思いをしているし、当分はちょっかいを出してくることはないだろう。

夜のホームで電車が通過する風に煽られて、あの日のことを思い返していた。

棒一本を握りしめて、彼女はどんな気持ちであの場に来たんだろう。そんなことを考えると、気がふれそうになった。

しかも盗んだ店が「美鳥家(みどりや)」って、どんだけあの人に励まされてんだ。

ふたりで会えたらよかったな。
あの夜、みどりさんて人に。

気を抜くとこぼれそうになるため息すら飲み込んで、速攻でトキタの番号を削除した。
流れ作業のように、エリからの着信履歴も消した。

それでいいんだと思う。
俺にはそれくらいが、たぶんちょうどいい。
< 62 / 81 >

この作品をシェア

pagetop