きみが空を泳ぐいつかのその日まで
「千絵梨なんか大嫌い。だけど……だけどごめんね。何も知らなくて、辛い思いいっぱいさせて」

さっきまで嘆きと不満をぶつけていたその体に、すがるように抱きついた。

たぶんずっと、姉が恋しかった。気の弱い自分をいつも守ってくれて、聡明で快活な千絵梨が自慢だった。
そんな姉に見放された気がして、勝手にいじけてただけ。

「我慢させて苦しませて、ほんとにほんとにごめん」

だから震える細い肩とうすっぺらい背中を抱いて、柔らかな髪に顔を埋めてみっともなく泣きながら謝った。

「やめてよ、あたしの方がどんだけ意地悪したかわかんないのに」
「そんなことしてない」

千絵梨は言葉足らずなとこあるから。
体が先に動くタイプなだけだから。

「八つ当たりなんかしたって何にもならないってわかってたんだよ? だけどどこにも気持ちの行き場がなくてどうしようもなかったの。ほんとはずっと謝りたかった。ほんとだよ。ごめんね……つぼみごめんね」

千絵梨の細い指に背中をしっかり掴まれたら涙がまただらしなくボロボロとこぼれて、忘れないよう心にしまっていた久住君の笑顔が、溶けて流れていく気がした。

揉みくちゃになってすっかり毒気を抜かれた私たちは、それから深夜遅くまでとりとめもないことを話して、笑って、時々切なくなってまた泣いたりしながら、隣同士に寝転がってた。

「ただのやきもちだよね。なんか、悔しかったから」

なんの抑揚もない千絵梨の言葉を黙って聞いていた。

「そんなこと、どうでもいいよ」

引っ掻き傷がヒリヒリ痛んで、次々にあふれる涙が耳に入るのが、不快でしかない。

「久住君と、話したほうがいいと思うな」

千絵梨の方を向いてそう言った。

「ううん、ちゃんと終わってる。だから、もう会う必要はないんだ」

天井の一ヶ所をみつめたまま千絵梨は平坦な声でそう返事したきり、黙りこんでしまった。

夜がさらに深まりあたりがしんとした頃、少しウトウトして眠りに落ちる間際に、まるで短い夢でも見るようにあの日のことを思い出した。

『泣かないで、神崎さん』

あの夜救急車のなかで、朦朧とした意識下で彼はそう言ってくれた。

暗闇のなかでスマホを探って、触れたくて仕方なかった彼の名前を静かに眺めた。

もう近くにはいられないけど、あの声をお守りにすればいい。

柔らかなお母さんの手にもう二度と触れることができなくても、千絵梨の細い寝息や体温を隣に感じられるのが最後かもしれなくても、居場所をみつけられなくても。
大丈夫。
私はもう、泣いたりなんかしない。

そう決意して、画面にある彼の名前を、そっと削除した。
< 66 / 81 >

この作品をシェア

pagetop