きみが空を泳ぐいつかのその日まで
「……大丈夫か?」

地べたに座り込んだまま動けないでいる私を久住君が不安そうに見おろしていた。
なんで彼が? すごく急いで帰ったはずなのに。

「いきなり蹴ったりしてごめんな。頭打ったろ、まだ動かない方がいいかも」

自分の方がひどいケガをしてるのに、どうして私なんかのことを気にかけてくれるのかわからなくて大きく首を横に振った。

「平気だよ。でも久住君が、なんでここに?」
「なんでって言われても……忘れ物して引き返してただけで。まぁ、しいて言うなら偶然?」
「ひどい怪我……」
「うん痛い。泣くかも」

摩擦熱で破けた彼の制服にどんどん血が染みていく。

「いや、冗談だよ? こんくらいで泣くわけないじゃん」

どんな顔を見せていたのかな。久住君は私を庇うようにおどけて笑ってくれた。

「大丈夫なわけ、ないよ」
「いや、骨折れてねーもん。むしろラッキーでしょ」
「……ごめんね、私のせいで」

久住君はこっちを見下ろして苦笑してくれたけど、ほんとは何か言いたいんだと思う。

その表情がさっきよりすこし固くなった気がして身体が反射的にこわばった。核心をつかれる、そう思ったのに。

「こんなんじゃ入店拒否されそうだから代わりに買い物に行ってくれない? 必要なんだ」

久住君の視線の先にはちょっと曲がってしまった自転車があって、彼は心底困った顔をしただけだった。

「何買ったらいい?」
「オムツ」
「お……オムツ?」
「うん。ほら、あそこで」

前方にそびえ立つドラッグストアのおおきな看板を指差した。

「あ!」
「あ?」
「いえ、なんでも」

帰りのホームルームで久住君が眺めていたスマホの写真のことを思い出した。

「このことクラスの奴らには秘密な。弟のことはあいつらに知られたくないんだ、いろいろ面倒だから」
「うん、わかった」

そっか、あの赤ちゃんは弟なんだ。
彼が毎日一目散に下校していたのは、こんなふうにお母さんの手伝いをしていたからなのかも。

「このメーカーのMサイズ。いい?」
「うん、Mサイズ……」

おうむ返しで、脳内にメモをした。

「絆創膏なんかもいるよね」
「そんな気にしなくていいよ。突っ込んでった俺の自業自得だし押さえてれば問題ないって」

こんなに血が出てるんだ、痛いに決まってる。あちこち地面に打ち付けて、打撲だってしているはずなのに。

「ほら」

それなのに、久住君は手を伸ばしてくれた。その手を掴めずにいると、何も言わずに私の自転車を起こしてくれた。

「お詫び……他に私にできること、何かないかな」

ひとりごとみたいにゴニョゴニョ言ってしまってからあわてて口をふさいだ。
あまりに唐突すぎる大事件のショックで、心の声がもれちゃうなんて。

「それなら明日の朝、後ろに乗っけて。俺あそこにいるから」

後方の改札近くにある待ち合わせスポットの噴水を振り返っていた。

「そうだよね。自転車に乗れないと、困るよね」

座り込んだまま自問自答していると、久住君は私の手首を今度は強引に引っ張った。

「あ……ありがとう」
「腰抜けてんでしょ」

図星をつかれて顔が赤くなる。

「連絡取れないと困るから。ほら」
「……うん」

携帯の画面を突き出され、お互いの連絡先を交換すると脇目もふらずにお店へ走った。

ほんとうは、こころの弱さをすべて見透かされているような気がして、彼の目を一度も見ることができなかった。

お使いから急いで戻り、ケガの手当てをしようとしたけれど、手は震えてもたついて、ガーゼ一枚取り出せない。

「あのさ」

見兼ねた彼のその一言で、にじんでいた嫌な汗が背中を伝うのがわかった。

「やっぱよくないよ、さっきみたいなの。なんてゆうか……」
「ご、ごめんなさい!」

荷物を彼に押し付けると、いたたまれなくなってそのまま改札へとダッシュした。

「ちょっ神崎さん!」

聞こえないふりをした。ふりをして、逃げた。

「これ、忘れ物!」

何を忘れたっていい。大事なものなんて、いっこも持っていないから。
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