すばるとしみずのあいだには、しゅっとしてもふもふのおれがいる。
しみずとすばると寒いと暖かい
「うぅ……寒いね、 すばるさん」
「そうですね」
「今夜はあったかいシチューがいいな」
「あー、今日は豚汁ですね」
「え?! マジ?! それはそれで最高!! 結婚して下さい!!」
「また今度」
「っええええ?!」
「……ええじゃねぇよ! 回線がオープンなんですけど?」
「知ってるわ! 知っててやってるわ! お前待ちなんだよ、さっさとしろよ、くるり」
「ちょっと待てっての! ていうか、余計なおしゃべりしてんなよ」
複数人で共有している音声情報の中に、誰かのため息が混ざっていたが、なんせ複数が使用しているので、出どころは分からなかった。
「……すばる」
「はい」
「こっちは捕捉した……見えるか」
「いえ、こっちからはまだです」
今回の標的は車で移動後、高級な部類に入るホテルでのパーティーに出席する予定だ。
ハイジとすばるはその捕捉役として、車を見下ろせる位置に散っていた。
清水とくるりが失敗した時の場合のフォローも兼ねているので車を見送って終わりとはいかない。
すばるは十階建てビルの外階段に待機していた。オフィスビルなので、クリスマスを翌週に控え、さらに週末の重なった今夜、真面目に働いている人はまばらな様子だった。
もちろん凶器のような風が吹き付ける外階段に現れる人など誰もいない。
鉄製の階段は風を遮るものが極端に少ない。
大きな分厚いコートの内側にライフルを抱くようにして、なお吹き込んで体を冷やそうとする風を防ごうとぐいとコートを巻き付けた。
鉄柵にもたれ掛かかるようにして、取り外したスコープを覗く。
車が現れるであろう場所を見ながら待っていると、ハイジの舌打ちが小さく聞こえた。
「進路が変わった……北だ」
「あ、はい」
「しばらくはこっちで確認できる。移動しろ」
「はい」
すばるが居る場所からでは、北に向かう車は確実に見えない位置だ。
ライフルを背中側にぐるりと回し、鉄階段をなるべく足音が響かないように駆け上がった。
屋上に登って、車が向かった北の方向を見渡した。
自分の力量に合わせて進路を決める。
すばるは周囲に人影がないことを確認し、軽くその場でジャンプを繰り返した。
勢いよく息を吐き切り、屋上を駆け抜け、ビルの縁を踏み切って跳んだ。
なんとかハイジが目標を見失うまでに、すばるが別の場所に到着する。そう伝えると今度はがさごそとハイジが移動を始める音が聞こえる。
標的が運転する高級車は、ホテルに向かう道を逸れて、ブランドのショップが多い地区へと向かっていた。
クリスマスが近い。時季的にそこへ行きそうな雰囲気はするので、すばるはその通りが一望できそうな場所までさらに移動した。
予想通り、シックでいかにもな店の前で、歩道寄りに停車する。
「車が止まりました……あ、お買い物ですね」
「はぁ?!」
「助手席に女性が乗ってました。一緒に店に入るみたいです」
勘弁しろよとくるりの小さな声が聞こえる。
事前情報では標的に連れがいるという話は無かった。
予想外の車の進路変更といい、その女性の同伴も急に決まったのだろうと認識を共有させる。
「あーあ。はい、くるりスタンバーイ」
「……くそっ」
ぷつりという音が全員の耳に届く。
くるりがマイクを切ってその場を離れたのが分かった。
ホテルにほど近い場所で、防犯カメラの時間を数分ずらし、そのタイムラグを補填するのが今回のくるりの主な役目だったのが、別の役割が追加される。
標的をひとりにするため、女性を引き離さなくてはいけない。
くるりは下調べしてあったスタッフ用の通用口から当たり前の顔をしてホテル内部に入った。
買い物を終えた標的と連れの女性、ブランドロゴが入った紙袋が乗った車は、今度は大人しく目的地に向かって進行する。
それを伝えるとすばるは帰路だと予測しているポイントに移動を始めた。
地上に下りないように少し遠回りをしながらも、一旦、最初のビルまで帰る。
ライフルの入れ物にしているギターケースを置いてきてしまったので取りに戻った。
そこからは地上を徒歩で移動し、また別の建物で待機する。
飲食店の多い場所を歩いたので、時間帯的に人出はかなりのものだった。
もうすでに酔っ払ったようなグループをいくつも見かける。イヤフォン越しに聞こえる賑やかな声を振り切るように早足でその場を通り抜けた。
清水はホテルの地下駐車場、コンクリートの太い柱と車の影から、入ってきた車を確認して身を潜めた。
予定ではホテルに入る前に終わらせるはずが、そうもいかなくなった。
くるり次第で場所も変更になる可能性が高い。
通り過ぎていく標的のスーツや匂いを覚えて、心中でくそくそ言っておく。
コンクリートに囲まれた地下の駐車場の冷え方にまで腹が立ってくる。
上着をかき抱くようにして、座り込んで小さく身を縮めた。
くるりはうんざりだという表情を隠して、パーティーの会場に入り込んだ。
普段は子どもの姿が楽なのでそうしているが、今夜はそうもいかず、大人の男性然としてウエイターの格好で紛れ込む。
パーティーの招待客は百を超えている。
その中から標的を見つけ、とりあえず近付いていった。
標的が知人と話し込み、女性が少し離れたのを今だと、くるりはそこに歩み寄る。
「……失礼します、お客様」
きつい香水の匂いに反吐が出そうになりながら、くるりは背後から静かに声をかけた。
爪を鋭く伸ばし、背中の布に引っ掛け、少し引き裂いてそこをそっと手で押さえる。
急に触れられて驚いた女性は、なによと驕った雰囲気を垂れ流していたが、くるりの顔を見ると急にしおらしく振る舞った。
「お客様……失礼ですが、お召し物がほつれています。……この辺りが」
ついさっき自分が破いた場所をするりと撫でると、そんな、などとか細い声を出した。
「あちらに控え室がございますので、確認をされてはいかがですか。ほつれた場所は見えないように、私が後ろにいますので」
にこりと微笑むと、女性は頬を朱に染めて頷いた。くるりのエスコートで会場を出て、通路を挟んで向かい側にある、別の広間に入っていく。
使用されていないのは知っていたので、その広間は暗かったが、女性を半ば強引に押し込んだ。
扉を背にさせるように回り込んで、両手を縫い付ける。
「お客様……失礼します」
息がかかるほど顔を近付け、色っぽく首筋に手を這わせ、指で頸動脈を圧迫し、女性を失神させる。
転んでケガをさせないように、崩れる女性を抱えて、ずるずると引き摺って床に転がした。
ふかふかの絨毯の上だからまぁいいかとへらりと笑って、脈が正常なのを確認すると、くるりは広間を出た。
会場に戻り標的の元へ近付く。
「お客様、お連れ様が車に忘れ物をされたので鍵を貸してほしいとおっしゃっています」
一瞬不審そうな顔をしたが、自分の近くに女性がいないことにやっと気が付いたのか、辺りを見回した。
「よろしければ鍵をお預かり致しましょうか?」
「連れはどこに?」
「地下の駐車場におられます。お忙しいようでしたら、私が」
「…………いや、いい。駐車場だな?」
「はい、お車の側でお待ちです」
くるりが先に立って歩き、会場を出てエレベーターのボタンを押すと、標的は素直にその中に乗り込んだ。
エレベーターが動きだしたのを見送り、そのままくるりも反対側にあるスタッフ用の通路に歩き出す。
「……お待たせ、そっちに行くよ」
「……寒い!!」
「はいはい、知ってる。冬だもんね」
返事をしながら、慌ただしく行き来している同じ服装の人たちの間を縫うように、くるりは出口に向かった。
ひと目のない場所でウエイター姿から普通の格好に戻り、従業員用の出入り口から、さも当然のように出て行った。
早足の靴音が響き、覚えのある匂いが通り過ぎた後で、清水は車の間をするりと抜けて標的に近付いた。
音と気配を消して背後から近付き、両手で顎と頭を持ってぐりと捻る。
糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた男を見下ろし、動かないのを確認した。
一応、脈が無いことも確かめる。
ずるずると引き摺って車の間を通り抜け、車止めの後ろに転がしてから、清水も何食わぬ顔で地下駐車場を歩いて上り、地上に出る。
「はい、撤収ー」
それぞれから了解の声が聞こえた後で、すばると待ち合わせの場所に向かった。
会場ではしばらく経っても主役不在だと気付かれることは無かった。
遺体が発見されたのは深夜に近い時間。
その日、大々的に祝われるはずだったのは、新しいプログラムシステム。
元々は別の機関で開発されたものだった。
そこから盗み出し、我がものとして不完全な状態で、先に発表されてしまった。
プレスリリースが先行して、人知れず速やかにプログラムを取り返すのが困難と判断したのは、その開発機関だけではない。
複数から同様のオファーがあった。
世間に大々的に広まり、汎用が始まっては困る人間が相当数いた。
いくつかの大手企業と、政官業の数人が消えるほどの大事だった。
ニュースにもならず、新聞に小さな記事が載るだけの男の死は、すぐに世間から忘れ去られることになる。
すばると会う直前、すぐ近くにあるゴミ箱を見つけて、清水は量販店で買った毛糸の手袋を外してそこに捨てた。
上着のポケットに手を入れて、冷えた指先を温める。
落ち合う場所に先に来ていた、ギターケースを背負ったすばるを見付けて、機嫌良く駆け寄った。
すばるの手を握ると、そのまま上着のポケットに手を突っ込んで、ふたりは家に向かう。
「豚汁?」
「はい、あと……焼きおにぎりにしましょう」
「なにそのハッピーセット! 結婚しましょう!」
「次の機会に」
「ううんもう …………大好き!!」
くすくすと笑い合いながらふたりは夜の街を歩いていく。