すばるとしみずのあいだには、しゅっとしてもふもふのおれがいる。
2月、晴れ その3
ウルフィーをベッドにゆっくりと寝かせて、マフラーをそっと外す。
辛うじて部屋の内側には入ってきた莉乃が、息を飲んで喉を詰まらせた。
「……腹の中に入ったままだね」
「……何がですか?」
「清水君の腹の中に、何か、銀で出来たものがあるよ……すばるさん平気なの?」
「銀?……この、なんか変な匂いが関係ありますか」
「うん……ごめん。本当に僕らにはそれが触れさえしないんだ」
「わ……たし……私なら大丈夫ですか?」
「どうかな……分からないけど」
「清水さんのお腹の中から、それを出したら大丈夫なんですか?」
「それも、どうかな……すばるさん、清水君の腹に手を突っ込める?」
「………………やります」
手を洗ってきれいにした方が良いのかと聞くと、そんなことより、一刻も早く取り出した方が良いと莉乃は言う。
すばるはコートを脱いで、セーターの袖をまくり上げ、横向きに寝ているウルフィーの腹に手をあてた。
腹は横一文字に裂かれていて、内側からは臓器がはみ出していた。
なるべく傷付きませんようにと意識しながら、ゆっくり指を差し入れる。
ぬるりとした感触、冷えた指が熱く感じるほど中は温かい。
端から探って滑らせると、すぐに指先に硬いものが触れた。
硬くて薄い形状のようだ。
「ありました……出しますね」
「うん……触って何ともない?」
「だ……いじょうぶです……なんとも」
指で摘んで引っ張り出したのは、血に濡れてはいるが、確かに銀色だと分かるもの。
鈍い光を放つ、10センチ程の小さなナイフ、その刃の部分だけ。
取り出してヘッドボードの棚の上にそれを置く。
「ううん……祝福たっぷり」
「祝福?」
「こっちからしたら呪詛だけどね」
「じゅそ……」
小さな刃には、何か文字のような模様のようなものが刻まれている。
すばるの人の部分はそれが美しく見え、それ以外の部分は、忌々しいほどの甘ったるい匂いで、全力で体が拒否していた。
「……それで、この後どうしたら」
「そのナイフ、ちょっとどこか、隠してもらえる?」
「はい……何かに入れるとかで良いですか」
「うん……ああ、そのマフラーにでも包んで」
「……ごめんなさい、莉乃さんにもらったのに、こんなことに」
「もっと良いのを買ってあげる」
「ふふ……はい」
マフラーで刃を包んで、なるべく遠くに置こうと考えた結果、外のベランダに出して窓をぴしゃりと閉めた。
ふと苦い顔で笑った莉乃は、部屋のクローゼットから処置用の箱を取り出した。
必要な道具を確認して、ベッドに乗り上がり、ウルフィーに跨って腰を落ち着ける。
「うわぁ……がっつり腸がはみ出してるねぇ」
「あ、これ、腸ですか」
「腸だねぇ」
「……ほほうこれが」
莉乃はぎゅうぎゅうと手で内臓を押し戻して、すばるに傷口を押さえるように指示をする。
出てこないように押さえているうちに、莉乃はざっくり傷口を縫い始めた。
短調な作業に変わったので、同時に口も動く。
「……狩り人はね、ワーウルフの息の根を確実に止められるように、あらかじめ色々しておくんだけど」
「……かりびと……ああ、狩り人……はい」
「ワーウルフをやっつけるには、純銀の弾丸を撃ち込めっていうのは知ってる?」
「あ……はい、一応」
「まぁ、あれは作り話なんだけど」
「そうなんですか?」
「……銀の何がダメって、強い祝福が上手く乗っちゃうとこなんだよね」
「……ということは、銀自体が問題じゃないってことですか?」
「そうそう……純銀だろうが、その他の金属だろうが、ただの金属だけなら平気なんだよね」
「祝福がよくないと……」
「そういうこと。で、銀はその点、祝福と相性が良い……お互いを引き立て合う……相乗効果だねぇ」
「……それって逆ですよね」
「……こっちからしたらね。しかもだよ。ご丁寧に腹の中に残していくんだから」
「これ、わざとですか?」
「そうだよ、力の入れ具合で簡単に体の中で折れるようになってんの。やらしーよね」
「…………なんでそんな」
「まぁそんぐらいしないと、ただの人間が僕らには敵わないからなんだけど……よし。終わったよ」
「…………もう大丈夫なんですか?」
ふぅと息を吐き出すと、莉乃は苦笑いで首を傾げる。
「どうだろう……ずいぶん腹の中に入ったまんまだったみたいだし、清水君がこんな状態じゃあね」
「え……え?! どういう……」
「傷を負って人の形を保てないって、相当なんだよ……全部の力を生命の維持に回さないと追いつかない状態だってことだね……僕が服を着てるかどうか聞いたのはそういうこと」
自らの意思で狼になったのなら、いくら寒かろうが服は自分で脱いでいるはずだと莉乃は言う。
服を着たままの状態で狼になったのは、脱いで片付けるような余裕が無いままに、身体が生命維持を優先した結果だ。
すばるは真っ直ぐでいられなくなって、ベッドに両手を突き、シーツに掴まる。
「……これ以上できることは無いんですか?」
「あとは清水君次第だねぇ……がんばってくれると良いけど」
「…………傷が治ったら?」
「なぁに?」
「傷が治ったら大丈夫?」
「それもどうかな……祝福が盛り盛りだし」
「初めてウルフィーに会った時も、お腹に大きなケガがあって、狼の姿でした」
「…………何が言いたいの?」
「……あともう一回魂分けできます、そしたら」
「それはダメだよ、すばるさん」
「……どうして?」
「三度目を終えたら君はどうなる? 人間じゃなくなって、僕らと変わらないほど長く生きるんだよ」
「……はい……分かります」
「分かってないよ……それでもし清水君が助からなかったら? すばるさんは魂の半分が無くなるって意味が分かってない」
「莉乃さん……」
「……正気を保てないって聞いたよ。僕たち……僕と英里紗のように自分の意志で一緒にいるわけじゃない。君たちは魂を分け合ってるんだ……それがどういうことか、僕よりもすばるさんの方が分かるんじゃないのかな」
今も同じことだ、とすばるは思う。
魂を分け合っているというのなら、それは今だってそうだ。
打つ手がないならただ見守るしかないだろう。でも、まだ出来ることはある。
傷が癒える望みがあるのなら。
魂分けをせずに後悔し続ける80年も。
魂分けをして正気でいられない500年も。
大して変わりはない。
そしてそのどちらも、絶対に願い下げだ。
ぽとぽとと、シーツに涙の粒が落ちて、水玉模様が滲んで連なっていくのを、すばるも莉乃も、それだけを見ていた。
「……魂分けのやり方を教えて下さい」
「すばるさん!」
「もし清水さんが助からなかったら、私を殺して下さい」
歯を食いしばって顔を歪める莉乃に、脱力した微笑みをすばるは返した。