すばるとしみずのあいだには、しゅっとしてもふもふのおれがいる。

すばるとおれ







匂いは小さなボールのようなものだ。

ひっつき虫が、点々とあちこちに落ちて、至るところに引っかかっている、と言うと想像しやすいだろう。

空気の塊のようなものなのに、風で飛ばされたりしないところが、簡単に離れないひっつき虫と似ている。


あいつらほんと、ちょっと茂みに突っ込んだだけで身体のあちこちに付きやがって。
まったく苛つかせてくれる。
……まぁ、本物のひっつき虫のことは置いておくとして。


匂いの話だ。


古いものはどんどん上書きされていくので、時間が経つほど分かりにくくなる。
雨が降ると流される。
匂いは水に溶けると言った方が正確なんだろうが、まぁ、土砂降りまでいかない普通の雨なら多少は匂いが残っていたりもするから、何が正しいのかは、おれにはよく分からない。


ここ数日はいい天気だった。
今日も曇っているが雨の気配はなさそうだ。
なので何も心配はない。
おれは一番濃く残っている匂いをたどって走り出す。

鼻先を持ち上げると、風の中に川の水の匂いを感じる。
そこにすばるの匂いも混じる。
やはり川の方に向かったか。


堤防の遊歩道に上がって、すぐにまた来た方の斜面に身を隠した。
こそりとのぞいて、ゆっくり身を屈める。
思ったよりも近くに、すばるの頭の天辺が見えた。
このまま不用意に歩道を進めば、すぐに見つかってしまうだろう。
おれは見られないように静かに近寄って、驚かせてやることに決めた。

音を立てないよう慎重に、身を低くして、最速ですばるの背後に回り込む。
そしてなに食わぬ顔で、真横に座ってやった。


よう、すばる。
久しぶりだな。
おれだ。


すばるはおれに気が付くと、一度びくりと身体を震わせた。
恐る恐るといった感じで、ゆっくりとこちらに顔を向ける。

お前と会えて嬉しいがしっぽはまだ振ってやらん。
お前がおれを思い出すまでは、鼻ちゅうも無しだぞ。


おれが知らんぷりで前を向いたままでいると、すばるは背筋を伸ばして、あちこちに顔を向けて何かを探し始めた。

何も見つけられなかったのか、またおれの方に顔を向ける。

「おひとりですか?」

もしかして飼い主を探していたのか?
なら、いないぞ。いるわけないだろ。

「……なでなでしても良いですか?」

もちろんだ。
すばるなら、いちいちおれにお伺いをたてる必要は無い。

なでなでしろ、さあしろ、今すぐしろ。

んむ。

ぐはっ。

……はうっ。


すばるめ……前にも増して腕を上げたな。
なんでここまでおれのいいトコを分かってるんだ。

「…………みっしり……」

そうだろう。

すっかり毛質が変わってしまったけど、なかなか今のも良いもんだと自負している。

ころころふわふわのあのころと違って、今ではもう女子なぞはおれを避けて通り、子ども達はひと睨みでその場で震え上がり動きを止める。
おれも逞しくデカくなったからな……おれを思い出すまで時間がかかるかもしれん。

お前と離れていた時間の長さが憎らしいよ。


あの頃みたいに膝に乗れるサイズじゃなくなったからな、しょうがない。
頭だけでもお前の膝に乗せてやろう、さあ思う存分おれをよしよししろ。

「ふわあぁぁぁ……かわ! かわいい!!……あなた……優しくて大人しくて、とてもすてきですね。……ずいぶん大型の……洋犬? ですかね? 散歩ですか?」

散歩じゃない、すばる。
お前に会いにきたんだ。

「背中の毛色がとってもカッコいい……」

そうだろう、特にこの背中の黒いラインと白い毛とがグラデーションになっているところなど、銀色に光って堪らないだろう。
ブラックバックというんだ、希少種なんだぞ。

「毛の中に銀色が混じってますね、とてもきれいですよ?」

ーーー!!
やっぱりだ!!

ことばは通じなくても、すばるはよくわかってる。
前にもそうやっておれを誉めてくれたじゃないか、思い出せ、おれの名前を。

おれは!


「…………ウルフィー?」


すばる!



そうだ、おれだ!!
お前のおれだ!!

でかしたぞ、鼻ちゅうしてやる!!

「ほんと?! 本当にウルフィーなの?……あ、わ!……ちょ……あはは!」



女の子がでっかい犬に押さえつけられて襲われてるように見えるかもしれないが。

心配するな、そこの通行人(おまえら)


見ろ、すばるはかわいい顔でめちゃくちゃ嬉しそうに笑ってる。
そしてこのおれの尾が千切れんばかりに振れているだろう。
だから、お前らそれ以上おれたちに近付いてくるのはやめろ、ノド噛み砕くぞ。


「あはは……は! やめ……やめてウルフィー……顔がべとべとだよ……」


おおすまん、ついつい興奮して舐め過ぎたな。

「……ウルフィー……ぎゅーっとしてもいい?」

おれがお前に否を言ったことがあったか?
……まぁ、人の言葉は話せないから知らないだろうけどな。
返事のかわりの鼻ちゅう。

これでわかるだろ?

「ウルフィー……すごく大きくなってて、最初は分からなかったけど。……もしかして私に会いに来てくれたの?……だったら嬉しいな」

……それはおれの方だ、すばる。
おれの前から急に姿を消してしまって、お前をどれだけ心配して、お前をどんなに探したか。

話ができたらお前をどのくらい想っていたか。今この時がどれほどまでに嬉しいか。
それをお前に伝えたい。


「……ウルフィー首輪してないね」

お……おう。
おれには不要だからな。

「首輪してないと、保健所とかに連れて行かれちゃうよ」

う……ん、まぁ。……そうだな。

「心配になっちゃうなぁ……」

それはおれの台詞だ、すばる。
お前が誰かを頼る気配がないから、出てくるつもりが無かった俺が出てきたんだぞ。

心配かけるんじゃない。

……んでもまぁ、思った通りっぽいな。
おれの鼻はそう簡単に誤魔化せない。


あとはおれ達に任せとけ。






「ねぇ、ウルフィーの飼い主って、萩野さんなの?」

おお、いいな。
やっと関連付けができたみたいだな、間違ってるけど。
近頃は清水の後には、必ずおれが会いにいくようにしてるからな。
ていうか、言葉の話せないおれにではなくて、清水に直接聞いたらどうなんだ?

……聞いても答えないけど。


ていうか、何が萩野さんだ。
何の意地なのか本人の前では名前を呼んだりしないくせに。

おれはお前の部屋にこうやって何度もやって来ているのに、どうして清水はいまだに部屋の近くにすら来られないんだ。

いや、わかるよ。
アレも大人の男だしな。
危機感を持つのは大事だ。
お前はひとつも間違ってない。
でももう少し。

おれに見せるかわいい顔のほんの少しでもいいから、清水にも見せてやれないか。
話す時も、アレには敬語で妙に余所余所しい。
ていうか、会話も少ないよな。

対応が違い過ぎて、さすがにおれもヘコんでくるわ。

「今度、萩野さんにも聞いてみようね」

そうだぞ、そうするといい。

「だっていつまでも首輪がないと、危ないもんね」


ん?

首輪がないデカいおれ。

そのうち通報されて保健所に連れて行かれる。

だからこっそり自分の部屋に連れて入ってたのか?!


1周回って(?)かわいいわ! このやろう!


「うははは!……やめてぇぇええ……」


……ホント、これを少しでも清水にも見せてやってほしい……。
いつになったら清水はお前の普段を見られて、部屋の中でぴったりくっついて、ごろごろしながら過ごせるようになるんだろうか……。

おれが言うのもなんだが、顔はそこそこイケてるし、稼ぎもそれなりに良い。
そこんとこを自慢しないくらいに空気は読めるし、性格も悪くはないぞ……多分。



……うん、なんだ、別にな。
深入りしてほしいわけじゃないんだ。
……それはな。
おれも困る。
何よりお前に迷惑がかかる。
でも、な。
おれも清水もお前に認めてもらいたい。
お前はおれ達の『特別』だから。
ほんの少しでいいんだ、ぐうぜん出会えた今だけでも構わない。
少しの間だけでも。

「ふふふ……ウルフィーみっしりもふもふ。……好き!」

おれもだよ。
だから気がすむまで抱きしめるといい。






ん?
ちょっと待て。

もふもふだから好きなのか?
もふもふじゃないのは、じゃあどうなんだ?






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