転生公女はバルコニー菜園に勤しむ
 今夜は満月だ。外が明るい。二週間後は新月で、星祭りの日である。
 時刻は十一時十五分。外は静寂に包まれて、渡り廊下に月明かりが差し込む。人気のなくなった板張りの床はよく磨かれており、歩くたびにキュッキュッと音が鳴る。
 急ぎ足で歩く影は二人分で、そのうちの一人が早口でまくし立てる。

「シャーリィは明日の仕事はいいの? こっちは手伝ってもらって助かるけど」

 ピンクブロンドの髪をお団子にしたダリアの問いに、シャーリィは持っていたモップの柄を持ち替える。

「明日はお休みだから大丈夫。それにカタリナとダリアだけだと、大変でしょ。一度温泉を抜いてやるお掃除は時間が勝負なんだから」
「それはそうだけど……」
「さあ、今日は病欠で来られなかった人の分まで、隅々まで磨くわよ」

 仕方がない、といった風にダリアが肩をすくめた。
 温泉の入り口には、清掃中の看板が立てかけられている。その横を通り過ぎ、残っているお客がいないか、念のためチェックして見て回る。
 モップを壁に立てかけて、脱衣所から露天風呂へと出る。涼しい夜風が肌にまとわりつく。
 左右を見渡していると、横にいたダリアが栗色のショートボブの女性に声をかける。

「カタリナ! 何でも屋のシャーリィが来てくれたわよ」
「ちょっ、私は別に何でも屋ってわけじゃ……」

 反射的に抗議の声を上げると、背中を丸めて露天風呂の隅を掃除していたカタリナが振り返った。袖をまくり、白のワンピースの裾を丸めて結んだ姿はシャーリィと同じだ。
 花びらを模した銀細工の髪留めが月夜の下、きらりと光る。

「……新しい夜中の労働仲間ですか。歓迎いたしますわ……」
「カタリナ、久しぶりね。脱衣所の掃除は任せて。ちゃっちゃと済ませて、あとで合流するから」
「丁寧な仕事ぶりを期待しています……」

 慈愛に満ちた笑みを向けられ、シャーリィは気を引き締めた。普段はのんびりとしているカタリナだが、仕事は妥協を許さない主義なのだ。ここは戦場だ。ミスは許されない。

(頑張らないと……!)

 くるりと反転し、脱衣所に回れ右をする。モップをつかみ、決意を新たにしていると、ぽんと肩を叩かれた。横を見やると、ダリアが困ったように笑っている。

「二人でやったほうが早いわ」
「ありがと」

 ダリアがガラスの洗面台を拭き、ゴミをまとめる。その間、シャーリィはモップで床を磨いた。最後は二人で手分けして、着替える服を置く籠を一つ一つ覗き、忘れ物がないかをチェックする。

「そういえば、トルヴァータ帝国の情勢はどうなのかしら。ダリアは何か知っている?」

 ダリアは誰とでもすぐに仲良くなれる特技から、この温泉宿での情報通でもある。人懐っこい笑顔で警戒心を解き、気づけば、相手は彼女の欲しい情報を喋らされているのだ。

「皇位継承権のこと? 毒殺やら暗殺やら物騒なことになっているみたいね」
「へ、へえ。ずいぶんと物々しい雰囲気ね……。ちなみに、最有力候補って誰なんだっけ?」

 籠を元の位置に戻しながら聞くと、間髪を容れず言葉が返ってくる。

「次期皇帝に一番近いのは、カミーユ第一皇子ね。次にシリル第三皇子って聞いたわ」
「……いつも思うけど、どこからそんな情報を拾ってくるの?」

 知らない間にスリーサイズを把握されていた過去を思い返しながら尋ねると、ダリアは橙の瞳を細めた。人差し指を唇の上に添えて、悪戯っぽく笑う。

「情報には情報を、よ。シャーリィは公女なんだから、もっと貪欲になるべきよ。自分の持てる武器は多くて困ることはないんだから」
「……そうかもしれないけど、適材適所っていうじゃない? 私はダリアに助けてもらうから大丈夫よ」
「あら、それは頼りにされているってことかしら?」
「いつも頼りにしています」

 おどけて言うと、ダリアが瞬いた。一瞬呆けたような間の後、二人で噴き出す。
 夜空では、雲が流れて月を覆い隠していた。
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