転生公女はバルコニー菜園に勤しむ
 その翌朝、電撃訪問をしてきた友人は両手に大きな鉢を抱えていた。鉢の下にはスーパーの袋が被さり、土がこぼれないようになっている。

「お、おはよう……?」
「お邪魔するわよ。出勤前でこっちも時間がないから」

 そう言うなり、勝手知ったる我が家のベランダに鉢を置いた彼女は、くるりと振り返って宣言した。その手には取り去ったスーパーの袋が握られている。

「いい? 社畜OLも大変だけど、自分の健康は自分で守ること!」
「え、あ、はい……」
「まずは新鮮な野菜を食べなさい。そうしたら元気が出てくるから!」
「で、でも……仕事が終わるのは夜だから、スーパーには閉店間際にしか行けないんだけど」

 帰り道に寄るスーパーは九時には閉まる。
 いつも行く時間は客もまばらで、野菜や鮮魚コーナーにある品数も当然少ない。取り残された野菜たちはしなびたものが大半という有様だ。
 新鮮な野菜にありつくのは正直厳しい。疲れた足でお惣菜コーナーを覗くのがやっとで、料理をする元気もない。
 それを見越したように、きれいに巻いた長い髪を後ろに払い、友人が不敵に笑う。

「だから、この子の出番なんじゃない」
「えっと……その謎の鉢は……鑑賞用じゃないの?」
「違うわよ。素人にいきなり畑仕事をしろなんて言わないわ。これはうちで育てていたミニトマトなんだけど、ひとつ譲ってあげるわ」

 ふふんと胸を張る友人は、いい仕事をした、というように瞳を輝かせている。
 だが、園芸科出身の彼女と違って、こっちは何か植物を育てた経験は皆無だ。枯らしてしまう未来が見える。

「む、無理だよ。知ってると思うけれど、勤務時間もバラバラだし、水やりって好きな時間にあげちゃだめなんでしょ?」
「最近は便利なグッズがあるからノープロブレムよ! 朝は早起きしてもらうけどね」
「だけど……」
「いいから、だまされたと思って一回育ててみてよ。愛着が湧くから。……あっ、もう行かなきゃ遅刻しちゃう! 水やりの仕方はあとで連絡するから。それじゃあね!」

 玄関のドアが閉まり、彼女を呼び止めようとした手を力なく下ろす。ベランダの新しい客は生命力あふれる葉を揺らし、沈黙を選ぶ。
 呆然と突っ立っていると、嵐のように去っていった友人から連絡が入った。スマートフォンの画面に指を滑らすと、簡単な栽培方法について、箇条書きでまとめられた文章が書かれていた。
 かくして、人生初めてのベランダ菜園は幕を開けた。
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